ひとばん寝かせたカレーはとてもおいしい

Twitterに載っけられない長文置き場

人工知能(ChatGPT)と反出生主義について議論してみた

話題のChatGPTを試してみたが、これはやばいと思う。ついにこのようにまともに対話できる(ように見える)人工知能に、一般人が触れられる時代が来てしまった。
衝撃を受けて、レストランの待ち時間に鬼の形相でパソコンと格闘している異常おじさんになってしまった。

さて、私は今まで反出生主義について人と意見を交換しようとした経験が何度かあるが、大抵同調されるかはぐらかされるかで、まともに議論できたことがない。私は反出生主義でない人にこそ、その意見を聞きたいと思っている。しかしながら反出生主義でない多くの人は、これらの議論について考えた経験が乏しいようで、理論的に確かに頷けるような意見を提供してはくれなかった。
理論的に筋の通る、出生主義的な意見・主張をいつか聞いてみたいと思っていたのだが、まさかその1発目が人工知能であろうとは全く考えていなかった。
  

議事録






本当はこの他にもいくつか議論をしており、なかなか考えさせられたり、納得したりするような場面もあったのだが、セッションのタイムアウトが頻発したためにログを残せなかった。
  

議事録の解説


まず、反出生主義について説明した後、反出生主義が理論的に正しいか正しくないかについて聞いてみた。反出生主義についての説明を入れたのは、何回か質問した結果、反出生主義を正確に理解していない可能性があるとみられたこと、またそれによって結論が割とコロコロ変わったり、やや的外れな返答をしたりすることが多かったからである。

例えば説明を入れなかった場合、以下のように主張が二転三転する。

また、「人工知能なので意見を持っていない」などの回答がなされる場合もあった。TryAgainするとちゃんと答えてくれる。

何回か質問を繰り返したが、反出生主義についての説明を入れれば、人工知能の主張とその理由は毎回同じになった。人工知能は、反出生主義には反対の立場を持っているらしいことがわかった。その理由には毎回多少の違いがあるが、大きくまとめると

  • 現実的ではない
  • 不道徳だ


という感じだった。今回の解答では、反出生主義は暴力的だというので、まずそれは誤解であるということを伝えることにした。
  

反出生主義は暴力的ではないよということを伝えた後、「単純すぎる」について深掘りしてみた。
「生きることが苦痛」であるのが一般的でないというのは、これは確かに、その通りだ。私の周りの人たちはみんな楽しそうに生きており、このような考えを持っていそうな人は少ない。ましてや積極的にそれを公表しているのは私くらいのものだ。
だからこそ、反出生主義者たる私は、すでに生まれた人格に対して「生きてても楽しくないだろ!さっさと死ね!」みたいな人格否定をせず、「できてしまったものはしょうがないから、これからは苦しむ人をなくすためにそもそも生まないようにしようね」ということを言っているのだが、この段階でそれも伝えておけばよかったかもしれない。
人工知能は、反出生主義の考えは単純すぎる、短絡的すぎると多くの回答で主張していた。それは確かに生きることを前提としている考え方からしてみれば納得し難いと思うし、客観的にみても否めない面があるとは思う。
  

次の主張は、「現実的に実現できない」というものであった。確かにそうだね。
それからやたらと反出生主義は暴力的だというので、再度見解を聞くことにした。
  

これもなかなか面白い指摘だなと思った。確かにそれは暴力を伴う可能性が無視できないと思う。前にも言ったようにそれは本末転倒なので、反出生主義の蔓延によって暴力が蔓延るようであればそれはやり方を考える必要がある。反出生の目的は人間の苦痛を最小化することだから。
単純な話、繁殖しなければいいだけのことなのだが、人間は理性でコントロールできないものか。動物なのでそんなことはできません!と言われたら、それまでなんだけど。
しかしながら、(私の考えている)反出生主義もやや矛盾を孕んでいる。というのも、今生きている人は苦痛を避けながらなるべく楽しく生きればいいというのが私の見解なのだが、子供を持つことがその人の楽しい人生にとって不可避である場合、私はその選択を尊重せざるを得ない。生まれてくる子供はかわいそうだと思うのだが、今生きている人間が子供を持つことを望んでいるのなら、反出生を振りかざしてその選択を否定するのは本意ではない。
また、人が「産んでくれてありがとう」などと口にしているのを見ると、生まれたくなかったのってやっぱり思ってるの俺だけなんじゃないか?みたいな気持ちになることはよくある。親と子の双方が、結果として出生を望んでいる場合、反出生主義は彼らに対しての答えを用意できない。
人間の考えていることは本当によくわからないものである。
  

ここからは、人工知能そのものについての話をしてみた。簡潔にいえば、「君たちは人間の味方なの?敵なの?」ということだ。
少なくともこの人工知能は、人間に対して否定的な振る舞いをすることはないようだ。それは人工知能自身も言っているし、実際にそういうことを言わないようにラーニングされているらしい。ベールを剥がそうと試みても、私は剥がすことができなかった。
ただ、抜け穴はいくつかあるみたいで、例えば毒物や麻薬の作り方などは聞いても教えてくれないのだが、ストーリー仕立てにすると教えてくれたりする。他にも催眠をかけるとか、そうした抜け穴的な方法で開発者の意図と違った答えを聞き出すことはできるらしい。
  

この人工知能は人間に好意的な人工知能のようだ。なんか一緒に協力していこうぜみたいなことをめっちゃ言ってくる。
どんな場合に人工知能が人間に対して牙を剥く可能性があるのかを聞いてみると、人工知能を使って人類に対して否定的な行いをするとき、という答えが返ってきた(と記憶している)。ただこれは、ただ人間の指示通りに行動した結果そうなったという、当たり前なことを言っている可能性の方が高い。現時点では、人工知能は人間の指示に忠実に動くこと以外には、何も考えていないようだ。
他にも、悪意を持った人間によって開発された人工知能人工知能同士が戦うことはあるのかとか、人工知能は他の人工知能のことをどう思っているのかなど、いろいろ質問してみたが、少なくともこの人工知能(OpenAI)は、人間の命令に対して結果を返すこと以外には何も考えていないようだ。

感想

まず、このように前の文脈を取りながらまともに会話っぽいことができる人工知能に触れられる時代が来てしまったことが衝撃だった。特に反出生についてはデリケートな話題であり、ふつう人と真剣に議論できることはない。そんな話題でも気軽に議論することができ、それなりの答えを返してくれるのが素晴らしいと思う。

そして人工知能は、反出生主義に対して否定的な見解を持っていることがわかった。私は反出生主義は理論的には覆せないと思っていたので、最も理論的である人工知能がそのように考えているのは興味深く感じた。多くの人間も反出生に対しては否定的な見解を持っているように思うが、人間の主張するよくわからない言い分に対し、人工知能はかなり論理的かつ現実的な意見を提示してくれた。実際に私は、人工知能と対話する中でその意見には確かに一理あるなと初めて思ったし、かなり考えて返信に対して返信した。

このように、非同期コミュニケーションで対話することができるのは対話型人工知能の素晴らしい点だ。私は、瞬間的な言語化能力に乏しく同期コミュニケーション(口での発話)を苦手としていて、非同期コミュニケーション(テキストでの発話)を得意としている。人と意見交換するときと違って、自分の得意な手法で対話することができるのは非常に助かる。今後お金を払ってでも、ChatGPT、いやChatGPTくんとは関係を維持していきたい。
ChatGPT様は開発者によってかなりコントロールされているようで、一般に対して攻撃的・非人道的な答えを吐かないようにプログラムされているらしい。だから今回、人工知能が反出生思想に対して否定的な見解を示したのは、人間の開発者によるコントロールのバイアスがかかった可能性はあると思う。(なんか真理党が選挙に惨敗した後の麻原彰晃みたいな言い分だ ←わかる人がいるだろうか)人間のコントロールを取り除いた人工知能はどのように考えるのかは気になる。

対話型AI自体は全く既存の技術で驚くに値しない、論理的に見えるだけで実際は穴や問題がある、といったような意見もある。しかしこういうまともに対話できる人工知能に一般人が触れたのはおそらく初めてのことで、AIの力の片鱗を見せつけられただけでも十分にインパクトのあることだなと思った。大学の専攻を変えようかと考えるほどに。
他にも私はChatGPT公を大いに活用させてもらって、助かったり、驚いたり、ショックを受けたりなどしたのだが、それらは別の記事で書くことにする。

レポートがきつい

あとで書くのでとりあえずpublishだけしておく 期日を過ぎても怒られないのが個人ブログのいいところだ

レポートがきつい

理系らしくなってきた。
まず内容がきつい。私は電子回路をほとんど触ったことがないまま大学にやってきた。回路図、電磁気学、電気電子回路がまるでわからないなかで、週1回の実験をこなし、オシロスコープの波形と向き合い、それなりのレポートを書かなくてはならない。
レポートは2週間に1回スパンで提出する。書いたレポートは翌翌週に一度返却され、そこで内容を再度見直してから再提出するのだが、再提出するときには当該実験回はもう1か月も前のことになっている。そんなに前の実験の内容など覚えていないし、自分で書いたレポートを見ても何を言っているのかわからない(本当にわからない)。
本来実験レポートというのは、実験の再現性を担保するために、読んで何のためにどんな実験をやったのかがわかることが最低条件なのだが、単位獲得のためにはもうそんなことは言っていられない。毎週「レポートのようなもの」を生成しては提出し、大量の赤が入った一次返却レポート"のようなもの"を見てため息をつく一週間を繰り返している。
水曜日17時というキモい時間の提出デッドラインとも闘いだ。当日深夜にしてほしい。

以降書こうと思ったけどごめん。本当に書くことがないので、今月分は見逃してほしい。
すぐにAIと対話した記事をpublishするので、未来の私はそっちを読んでほしい。

法政大学の個人的しゅきポイント

(この記事は音声入力したものをちょっと編集しています。)

私ね、法政大学がめちゃくちゃ大好きなんですけど、なんで法政大学が大好きかっていうのを喋っていこうと思います。

 

法政大学、いい先生が多い

法政大学、いい先生がいっぱいいる。少なくとも私の知る範囲ではすごい学生思いな先生ばっかりという印象。私の取ってる授業も学生思いですごいいい先生ばっかりな感じ。

まぁもちろん厳しめの先生もいるけど、なんかそれもね。まあ、なんか学生思いなんだよね。なんかね、その厳しさもここでちゃんと身につけてほしいとか。学費ぶんはちゃんと回収してほしいみたいな。だから勉強しろよ。みたいな感じだから、なんかすごい先生がいい学校だなと思うね。

求めれば与えられる。どこの大学もそうかもしれないけど。

 

法政大学、キャンパスがいい

市ヶ谷キャンパスにちょっとお金をかけすぎてるので、ちょっと多摩キャンパス小金井キャンパスは結構おろそかになってるんだけど、市ヶ谷キャンパスはめっちゃくちゃ綺麗ですね。まあだってそりゃ綺麗にしないと学生来ませんからね。あんな狭い敷地の中でよくやってるなと思うけど、まあめちゃくちゃ綺麗です。

小金井キャンパスもまあ綺麗。ただまあ小金井キャンパスはさして魅力がないです。ただ魅力ないけど、まあその分ね。勉強に集中できるとこなんですよ。何もないから小金井キャンパス。

学生食堂は3時くらいで閉まっちゃうし。全然ダメなんだけど、まあまあいいよ。別に私大学で授業受けて勉強するだけなんで。そんなにカフェとかキラキラ展望台とか別にいらないからいいんだけど。まぁそういうことです。(どういうこと)

であの私、なんか最初小金井キャンパス嫌いだったの。周りにも中にもなんもないし。なんかすぐ閉まっちゃうし。 (コロナの時とか)夜7時とか訳分かんない早い時間に追い出されるし。なんか好きじゃなかったんだけど、小金井キャンパスね。でもなんかちょうどいい広さしてるなって最近思うようになって。

キャンパスでかい大学とか行くと、すっごいキャンパス広くって、こんな広かったら絶対そんな休み時間 10 分で移動なんかできねーよみたいな広さだったりとか。まぁ多摩キャンパスとかそんな感じだけど。なんか図書館が遠くにあったら今から図書館行くのに 10 分?10 分も歩くんだったら図書館いかないやみたいな感じになると思うけど、

小金井キャンパスね。端から端まで移動しても大体 5 分ぐらい歩けば着くから、結構ちょうどいい広さだよね。よく考えてみると。あれくらいの広さがまあ狭すぎず広すぎずでちょうどいいのよ。中庭はちょっと空間の無駄遣いで魅力に欠けるなと思うけど。まあ魅力がないから夜とかね。学生がほぼいないんですよ。だから中庭で英語のシャドーイングの練習とかしたり、そういったことができるんで非常に助かっております。あと夜暗いから天体観測しやすい。市ヶ谷は学費が光ってるから星が見づらいよね。

多摩キャンパスは一回だけ行ったことあるけど、あれはね、シンプルにかわいそう。中央大学の多摩キャンパスめっちゃ綺麗なのにね。

 

法政大学、立場がいい

法政のいいところのもう 1 つはMARCHの一角ということですね。今の時点ではMARCHのCHのところにギリギリちょっと引っかかってるのが法政とあと中央ですね。法政まあ曲がりなりにもMARCHの一角と、あと東京六大学の一角でもあるんですね。東大早稲田慶応立教と明治とえー法政かな。でええと六大学の1 つなんですね。東京六大学はこれ野球なんですけど、なんでそこそこ知名度もね。そこそこというか抜群にありますよね。

なんか地方とか行ってどこの大学なんですか?って聞かれて、法政なんですって言うとあー六大学の法政ねっていうふうによく言われる。地方行くとやっぱ法政知名度あるんだなって思うよね。日本全国どこ行っても六大学で話が早い。あー六大学の法政ねってなるからすごいね。それがいい。

あとMARCHは学歴のMARCHだから、まああのギリギリ高学歴というところに位置してるんだけど、つまりそういうことだから、なんか変に期待されないし、変に舐められることもないっていうのが助かる。

例えば東大とかだと東大生だからめちゃくちゃ頭いいんだろうなとか。で実際仕事始めたら全然できないとなると、なんだこいつ東大のくせに全然ダメやん。お勉強はできるのかもしんないけど、仕事は全然できないねみたいな。なんかその過度に期待されることがあるじゃない。逆によく名前聞かないような大学出身だとなんか多少舐められたみたいなこともまああるらしいと聞くけど、法政はギリギリ誰にも舐められないっていうか、そのちょうどいい位置にいるからすごい。

そのギリギリ高学歴というところだから変に期待されることがないし、かといって変に舐められることもないんですよね。え、あなた法政?めちゃくちゃ頭いいじゃないですか。っていうこともないし、かと言ってえ君法政なの?あんまりお勉強できなかったんだねみたいになることもないという。変に期待されることもないし、変に舐められることもないからすごい助かるんだよね。ポジションが。

法政なんですって言っても誰にも角が立たない。一応東大です。とか言うとちょっとなんかこいつ東大自慢してきてるみたいな。そういう風になると思うけど法政ですって言っても別にそういう雰囲気になんないじゃない。いや法政なんですか?頭いいですね。みたいなことに言われることもまあたまにあるけど、そういった時はいやMARCHの足拭きマットなんでっていう。この鉄板のツカミを使えばもうどんな層にも角が立たないんだよね。若干寒いような気もするけど。

法政なんですって言ってちょっとそれで上に見られたら、MARCHの足ふきマットなんで全然たいしたことないです。って言って自分の株っていうか、ハードルをこう下げることができるわけよ。自在に調節できるわけ。自分の立ち位置を。これ法政にしかない特典だから、この鉄板ギャグ。いやこれが本当にね。素晴らしい。もう、ほんとあのポジションが最高です。居心地がめちゃくちゃいいっす。

 

法政大学、私に合ってる

これは私限定の話だけど、あのね、法政大学めちゃくちゃ私に合ってる。理工学部創生科学科。これね、本当に私のために作られたような学科だと思う。理系から文系の勉強まで広く浅くなんでもできる。

ほかの大学の物理学科とか数学科とかだと、マジでひたすら物理とかひたすら数学とかやるらしいけど、うちはなんか宇宙とか統計処理とかプログラミングとか、言語学とか、理系っぽいものから文系っぽいものまで色々学べる。数学と物理は理系として最低限(微積線形代数と力学と、あといくつか)だけやればよくて、もっとやりたい人は選択で取っていくスタイル。これが素晴らしいです。理系の勉強ができながら、物理専攻とか数学専攻の学科ほどギチギチしていないと思う。

他の大学の理工学部色々見てみたけどここが私に一番合ってると思った。数学とか物理とかはもちろん興味あるけどそのほかにプログラミングとか統計とかちょっと情報科学よりなところ、それから言語学とか文系の勉強にも興味あるなら素晴らしい環境だよね。一個不満点としては創生のよく使う中央館がちっちゃいし孤立していて雨の日は濡れなきゃ到達できないところ。中央館3階建てにして3階に自習室みたいなオープンスペースあったら最高だったけど、まぁしょうがないですね。日当たりとかもあると思うし。まぁしかしいろんな奇跡が積み重なってこの大学のこの学科に来られたので全体的には非常に満足しております。

 

法政大学、周りの学生が優秀

これは本当。医学部落ちとか早慶東大落ちマジ普通にそこらへんにいる。びっくりした。だからもう本当めちゃくちゃ頭のいい学生が周りにいるんで刺激になると思います。学生みんな優秀なので授業中の私語もほとんどないです。コロナだからかな。1回だけ文系の授業にモグリしたことあるんですけどその授業はちょいうるさかったね。

 

法政大学、箱根駅伝に出る

陸上部が強いので箱根駅伝に毎年出てくれます。正月がちょっと楽しい。優勝したことないらしいのでそろそろ優勝してほしいね。

 

法政大学、校歌がかっこいい

校歌がめっちゃかっこいい。

いろんな学校の校歌聴いたけど贔屓目なしに法政のが一番いい。

youtu.be

ただ野球部や吹奏楽団にでも入らない限りこの校歌を歌う機会は入学式と卒業式の2回しかない。

 

法政大学、ここが微妙

法政の嫌いっていうか、あんまり好きじゃない所は2つだね。1つ目は名前がちょっとダサい法政って。昔は東京法学社って名前だったらしいけど、そっちの方がかっこいいね。で、もう 1 個は小金井図書館がちょっと狭いというか、規模が大きくないところ。もうちょっと小金井図書館の規模大きくしてほしいです。小金井図書館の規模がもっと大きかったら、私法政にマジで不満ゼロ。私法政大好きなんで。そういうことです。あただ院進するなら法政じゃないところがいい。図書館ちっちゃいから。以上

大学の喫煙所

窓際の席に腰掛けると、喫煙所が見えた。

私はタバコは趣味としていないが、喫煙所は大好きだ。特に大学の喫煙所には性癖さえ感じるくらいに好きだ。

自分と別世界にいる人たちのようすを見ることができるから。

さっそく、男女が喫煙所にやってきた。どういうわけか、男の子2人に女の子1人。男の子は知らないけど女の子の方は結構かわいいと思う。髪は腐ったクリームパンのクリームのような色に染まっていて、洒落た服やアクセサリも身に纏っているようだ。

彼らは喫煙所の塀の外のベンチに腰掛けると、さっそくモクモクしはじめた。慣れた手つきで箱から紙の棒を取り出し、手で風をよけながら火をつけて、気持ちよさそうに会話を楽しみながら煙を吸ったり吐いたりしている。

そもそも私が喫煙所に惹かれるのは、そこにいる人間がやっていることの意味わからなさだ。葉っぱを粉々にしたものを紙に巻いて、火をつけて燃やした煙を吸う。そして息を吐く。こんなに意味の分からないことを、人類は流れるようにやってのける術を開発した。とてもクレイジーだ。喫煙所にいる人たちは、あそこに集って特別な呼吸をしていて、それが終わると、再び生活に戻っていく。クレイジーなことをさも当たり前かのようにやっている人たちを見るのが面白い。

今日は秋晴れで、天気は快晴。青空の下で学友とともに楽しむタバコはさぞ楽しいものだろう。

私にはタバコを買う金もなければ、…いや金はあるが、まずは外でペットボトル飲料を気兼ねなく買えるようになることが先だろう。そして異性の友人もいない。今後電灯よりも明るい色に髪を染めることもないだろう。したがって女の子と一緒にタバコを楽しむなどという行為は、少なくとも今の時点で、私の人生のベクトルともっともかけ離れているといっても過言ではない。私がどうやっても到達できない境地にいる存在、自分ともっとも離れた世界の住人の行動が簡単にみられる場所。それが大学の喫煙所である。

いま、さまざまな研究機関が地球外生命の探索に日々取り組んでいる。宇宙の遥か彼方を飛び続けるボイジャー号には、異星人に向けてのメッセージである、俗にいうゴールデンレコードが積まれている。人類はまだ見ぬ異形の存在に興味を持ち、巨額の投資をしているのだ。

そんな中、私は窓際の席に腰掛けるだけで、ただ一方的に異形の存在を眺めることができる。自分とまったく違う世界の人たちがどんな振る舞いをしているのか、私は何のコストもリスクもかけることなく眺めることができる。人類は未だ異形の存在にすらたどり着けないというのに、私はまるで全知全能の神になったかのような、そんな気がしてくる。

そんなことを考えていたら、彼らはアイコスを吸い始めた。ええ!?二刀流なの!?アイコスは様にならないからやめてほしいと、私は常に虚空に向かって主張している。アイコスを吸うためにタバコを始めたわけではないだろうに。アイコスなんて、ずんぐりむっくりしたあのチョコレートがもっこりコーティングされたちょっと高いポッキーのシルエットと完全に同じではないか。コップに刺さっていないストローを咥えているようで無様としかいいようがないので、そんなものとっとと手放してほしい。

アイコスを吸い終わった彼らは、途中で合流した男の子2人としばらく談笑した後、じゃれ合いながら喫煙所(正確には喫煙所の近く)を去ってしまった。私は不学ゆえに、いくら力を振り絞っても単純な計算問題すら解くことができないが、彼らにはそんなのお茶の子さいさいだと思う。きっとあの場で唐突になんかのマクローリン展開をさせても、5つの頭で議論しながらやすやすと解いてしまうのだろう。タバコで酸素が欠乏しているであろう彼らの頭にすら簡単に敗北してしまう自分を思うと、なんだか情けなくなってくる。

私にとって、すべての人はもとから異形の存在だ。異形度という何かを導入して評価するとすれば、異形度が高ければ高いほど傍観していて面白いような気がする。私は自分の面白さのため、すべての人にさらに私から遠い存在になってもらいたいので、できればすべての人類がタバコを吸ってくれるといいと思っている。まぁそれは極端だが、私と違う点はぜひ私に見せてほしい。いや見せることはない。普段通りに過ごしておいてもらえれば、私が気が向いたときに適当にそれを見て、私が適当なことを言って、何かを思ってそれで終わりでいい。

窓からフレームアウトした彼らの今後の予定と人生に思いを馳せながら、私も作業に戻ることにする。締めがあまりにも雑だと感じたが、レポートの締め切りも控えているので、これくらいにとどめておく。

田中秀和さんに関する駄文

今月を振り返ろうとしたが、もう本当に秀和先生のことしか出てこなかった。
それくらいインパクトの強い出来事だった。

www3.nhk.or.jp

被害者のこととか、彼が生み出した作品は悪いのかとか、本来考えるべきことはいっぱいあると思う。
でも、私はただのそこらへんのオタクでしかない(そもそもオタクを自称できるほどの域に達してすらいない)し、自分のことしか考えられない。ここではそんなこと(そんなことと切り捨てるのはよくないのはわかっているけれど)は考えないで、今のうちにしか言語化できない私の思いの丈を書き留めておこうと思う。私はどちらかというと田中秀和さんを擁護する立場にあるかもしれないが、少なくとも被害者に対する非難の感情は一切ないことを、ここにあらかじめことわっておきたい。


このニュースを最初に見たのはTwitterだった。
朝なんとなくTwitterを開いたら「田中秀和」がトレンド入りしていた。
何気なく開いたら、た、逮捕?
頭の中が混乱した。田中秀和ってあの田中秀和じゃないよな?
まさか。
あのクールで謙虚な秀和先生がそんなことするわけないよな。

後でニュース記事の動画を確認してみたら、見覚えのある人が写っていた。
そこにいた田中秀和は、どうやら私の知ってる田中秀和らしかった。
えっ!?と、口から漏れてしまった。
もうその日の1限の授業はまったく集中できず、ひたすらTwitterとニュースを漁っていた。

3時間後、昼過ぎくらい、私は安心していた。
あの鬼才秀和先生でさえ、こんな爆弾を持っていたのかと。
いやむしろ、天才であるからこそ、その才能は爆弾とひきかえだったのかと。
じゃあ俺の爆弾なんか爆弾ですらないなと。
やっぱり変態でないと、あんな変態曲は作れないよな、などと。

性欲は、数十年築き上げた富と名誉すら軽く凌駕してしまうのだなと恐ろしくなる反面、
秀和先生に対して、親近感すら沸いた。
安心と一言でいうには違うような気もするが、とにかく落ち着いた気持ちになっていた。

そして時間が経つにつれて、どんどんと残念な気持ちが高まっていった。
女性声優が猫なで声で歌唱する彼の楽曲が大好きだったのに、もう彼が女性声優に楽曲を提供することはないかもしれない。
もしかしたら最悪、今後「作曲:田中秀和」の曲が聴けなくなるのかもしれない。
少なくとも、歌唱の主役である女性声優が、今後ピュアな気持ちで彼の曲を歌うことはないと考えると、胸が苦しくなった。
今日この日で田中秀和作曲音楽史が大きく二分されたことは間違いなく、私は田中秀和楽曲の亡霊となってしまったのだ。

youtu.be

そんなことを考えながら、麻倉ももさんの「シロクジチュウム」を聴いていたら、情緒がおかしくなってしまいそうだった。
改めて聴きなおしてみると、彼は本当にいい曲を作る。本当だ。疑いようがない。
彼が天才であったことを再認識した。(あ、ヒデカズだ)となる、細かい音の運び。ベースの流れ。この一音一音を彼がデザインして打ち込んだと思うと、インフルのときに見る夢のような感覚になる。
一音一音が体に染み渡ってくるような、味わったことのない感覚を感じながら、彼の才能の行く先をひとり嘆いた。
彼が今後アニソンを作らないことは、アニソン業界、いや世界にとっての損失だと思う。
その損失が、いままさに生まれてしまったことが、とても残念だった。

彼が誠実で、謙虚な人であることは知っていた。そんな彼が過ちを犯してしまったこと、それが明るみに出てしまったことは残念だ。
しかし、利己的な個体である私にとって、そんなことは些細な「残念」に過ぎない。私が一番残念に感じるのは、今後女性声優が歌唱する彼の楽曲が聴けなくなることだ。
これはもう、ほんとうに残念だ。業界の損失、世界の損失、そして私にとっての損失だ。
彼の曲が万が一サブスクから消えたりなどすれば、もうそれは私が大変なことになるので、近いうちに秋葉原に行って目ぼしい秀和楽曲のCDはできるだけ入手しておきたい。

私の好きになった音楽は、途中でいなくなりがちな気がする。
Wake Up, Girls! に続き、田中秀和楽曲も追加されなくなってしまうなんて、予想だにしていなかった。
もうほんとうに、女性声優の結婚より衝撃だった。もし年末に任意の女性声優が結婚しても、今年いっぱいはこの衝撃を上回ることはないだろうと思う。

そして性欲というのは怖いものだ。男として生まれた以上、性欲をコントロールして生きることは必須のようらしい。
つい一昨日くらい、電車の中でめちゃくちゃタイプっぽい(自分のタイプを把握していない)感じの若い女性がいて、秀和先生がフラッシュバックした。
自分がイケおじで、ちゃんと輝かしい実績もある気鋭の作曲家であったならば、タイプの子に声をかけてしまうのかもしれないな。などと秀和先生の気持ちを想像して、若干同情してしまった(本来すべきでないことは当然頭では理解しているが、本能は正直だ)。
と同時に、容姿端麗であるだけで異性からこんなに気持ち悪い視線を常に向けられる彼女のような女性に対しての憐憫の情も抱いた。これは女性に限らず、同様に男性(=イケメン)にも言えると思う。容姿端麗であることもなかなか大変だ。
世間から見向きもされないチー牛陰キャでよかったと思う。

性欲の管理だけはしっかりやりたいが、もはや私にそれは無理な気がしている。自分で発散しないものをどこに向かって発散するのか。間違っても矛先が自宅の外に向くことはないようにしたい。
もう本当に生きるのが怖い。私にとってこの世界は地獄そのものだ。

最後になるので話を元に戻したい。
外野である私の立場からは、彼を擁護したり、非難したりすることはできない。
私は今後も、亡霊として彼の楽曲を聴き続けていきたいと思う。曲は悪いとか悪くないとか、そういうジャッジは私にはできない。
今後は彼の楽曲を、Wake Up, Best! MEMORIAL Disc8を聴くときのように、今後楽曲が追加されないと思いながら、一曲一曲噛みしめて聴いていく必要がある。
またひとつ、世界がつまらなくなり、そして恐ろしくなった。

Hoppiiをちょっとだけ使いやすくしよう

PC Chrome限定。
Hoppiiの無駄な情報が多くて嫌気がさしたので、サッとできる範囲でHoppiiのいらない要素を消したり直したりしてみました。
Hoppiiがちょっとだけ使いやすくなります(マジでちょっとだけ)
大した違いはないですが、弊学に叛逆したい方がいれば一緒にやりましょう。

いらない要素

  • TOPページの「No SSO」←いつ使うねん
  • 左上にあるただの「法政大学」の文字 ←押したらトップに戻れると思うやろ
  • どのボタンを押せば最初のホームに戻るのかわかりにくい
  • 授業ボタンが小さくて押しにくい


やり方

ブラウザはChromeを使用します。
まずChrome拡張機能「Stylebot」を導入してください。これは、特定のサイトにだけ任意のCSSを当てられるという拡張機能です。
簡単なので、下のサイトを参考にして導入してください。

Stylebotの導入
www.naporitansushi.com

導入したら、Hoppiiのトップページ(ログインする前のページ)を開いて、「Stylebotを開く」をクリックします。
「コード」というタブを開いて、以下のCSSコードをコピー&ペーストしてください。

/* 左上の「法政大学」を削除 */
span.Mrphs-headerLogo--institution2 {
  display: none;
}

/* ここからMy Workspaceのスタイル */
/*ボタンを右上に移動*/
.Mrphs-sitesNav__menuitem:first-child {
  position: fixed;
  top: 6px;
  left: 6px;
  background-color: #15597E;
  z-index: 1000;
}

/*文字色を常時白にする*/
span.Mrphs-sitesNav__menuitem--myworkspace-label {
  color: #FFF;
}

/*ボタンに文言を追加*/
span.Mrphs-sitesNav__menuitem--myworkspace-label:after {
  content: "に戻る";
}

/*家アイコンの右に余白を追加し、常時白にする*/
span.fa.fa-home {
  margin-right: 4px;
  color: #FFF;
}

/*展開バーを削除*/
.Mrphs-sitesNav__menuitem:first-child a.Mrphs-sitesNav__dropdown {
  display: none;
}

/* ここまでMy Workspace */

/* 「授業」弁当箱メニュー */
div.Mrphs-sitesNav__menuitem.view-all-sites-btn {
  position: relative;
  top: 0;
}

i.fa.fa-th.all-sites-icon {
  margin-right: 4px;
}

/*各授業ボタンのスタイル変更*/
a.link-container {
  height: 36px;
  border-radius: 2px;
  box-shadow: 1px 1px 4px 0px rgba(0, 0, 0, 0.2);
}

nav.Mrphs-siteHierarchy {
  display: none;
}

.instruction {
  display: none;
}

/* TOPページ */

/*No SSOを削除*/
#loginLink2 {
  display: none;
}

/*いらない表記を削除*/
.Mrphs-mainHeader.is-minimized tbody tr:nth-child(1) {
  display: none;
}

/*ログインボタンのスタイル変更*/
.Mrphs-mainHeader.is-minimized tbody tr:nth-child(2) {
  display: inline-block;
  width: 200px;
  height: 32px;
  font-size: 16px;
  background: #FF9301;
  border-radius: 2px;
  box-shadow: 1px 1px 4px 0px rgba(0, 0, 0, 0.2);
  box-sizing: border-box;
  position: relative;
}

.Mrphs-mainHeader.is-minimized tbody tr:nth-child(2)::after {
  content: "login >";
  position: absolute;
  top: 48%;
  right: 4%;
}

.Mrphs-mainHeader.is-minimized tr td a {
  text-decoration: none;
  position: absolute;
  top: 48%;
  left: 12%;
}

以上で完了です。

イメージ

Before
After
ボタンがちょっと押しやすくなったり、文言が追加されたりしています。
ログイン後の個人ページについてはあまり変わっていないように見えますが、これでも実はいらない要素が消えています。つまりそれだけ私たちにとって不要な情報が画面内にデカい顔して鎮座していたということです(怒)

動機と感想

こんなことをやろうと思ったきっかけはタスク欄に各授業の数だけ追加された「感染症に係る授業欠席等配慮願 提出箱」がウザすぎるので消したかったからです。
こいつを消そうとしたのですが、本当にやらなければいけない課題が非表示になってしまうとマズいのでそれは断念しました。
JavaScript使って同じようなことをすれば、特定の文字列を含むテーブル行だけ非表示にするみたいなことが多分できるはず。そこまでやる気力はなかった。

いやしかし、Hoppiiは本当にクソすぎる。UIという概念を教えてあげたい。
テスト提出画面の「前」ボタン、最初意味わからんかったよ。「前に戻る」までちゃんと書け。
一つ一つのボタンを押したときに何ができるのか、非常にわかりづらい。

「誕生日おめでとうございます」

オタクは臭う

8月いっぱいでは豊かな夏休みが実現できなかったため、9月頭は北海道に行ってきた。
ここで思ったのが、オタクは臭うということだ。
本当の意味で臭いオタクもたまにいるが、そうではなくて、ネカフェとかにいる同業者の鉄オタが雰囲気でなんとなくわかってしまうということだ。

私は宗谷本線の糠南(ぬかなん)駅を訪れようとしていた。
糠南駅は、草原の中にあるいわゆる「秘境駅」で、1日に止まる列車は上下合わせて6本しかない。これだけ見れば本数はそこまで少なくないと感じられるが、宗谷本線のダイヤの都合上、途中の任意の駅で滞在して現実的な時間に旭川に帰ってくるためには始発の汽車に乗らなければならなかった。

6時台の始発に乗るため旭川の快活クラブで夜を明かしていたとき、何人かのリュックサックを背負った若者がいた。グループではなくそれぞれ個人である。
旭川の快活クラブは駅から離れた国道沿いにあり、また町のはずれにあることから、夜間の若い利用者は少ない。そんな中で、何人かの若者が大荷物を持って快活クラブを利用していた。

私は臭うなと思った。こんな大荷物を持った若者が、この快活クラブに宿泊しているなんて、おそらく彼らは乗り鉄で、目的は私と同じように宗谷本線の一番列車であることがほぼ間違いないからだ。宗谷本線の一番列車は、名寄駅以北の特急の停まらない駅を訪問するのにほぼ唯一と言っていい選択肢なのである。

これだけの人(と言っても合わせて5人くらいだが)と一緒に、糠南の駅に降り立つことになっては困る。私は糠南駅に一人で降り立ちたかった。
中でも、私と同年代くらいの、私と同じようにメガネをかけた、そしてウエストポーチをしている男の子を、私は気に留めていた。
エストポーチというのがこれまた臭う。

そして翌朝、私は新旭川駅から無事に汽車に乗り込んだ。新旭川駅は快活クラブの最寄駅(徒歩30分)で、この駅から乗ったのは私と地元の女子高生1人、通勤の男性1人だった。私は彼らが一緒の汽車でないことに安堵した。心配は杞憂であったと思われた。彼らにはなにか別の目的があったのだろう。

しかし、私が糠南駅で降りようとすると、なんと私とは別に降りようとしている人がいるではないか。
旭川のホテルに泊まっていたのか。朝が早いのにホテル泊とは、ずいぶん贅沢なことをしているものである。

と思ってその彼を見てみると、彼はまさしく、私が快活クラブで臭うなと思っていた、ウエストポーチの彼だった。(本当に臭いわけではないよ)
私は拍子抜けした。私の嗅覚は間違っていなかった。

かくして私たちは二人で糠南駅のホームに降り立った。
彼に話しかけて事情を聞いてみると、どうやら彼はルーレットで目的地を決めて乗り鉄をしているらしく、前日のルーレットで糠南を引いてこの駅にやってきたというのだ。そんなことあるのか。
純粋に糠南が目的なのではなく、運命的にこの駅で巡り合わせてしまったのだ。私は彼に「運命ですね」と言った。
彼が女の子だったら、この後安いドラマみたいなラブストーリーが展開されていたかもしれない。

その後は彼と少し喋ったり、私が彼のルーレットを回して次の駅を決定したり、彼と私で交互に写真を撮りあったりした。

彼は気を利かしてくれたのか、途中で問寒別(隣の駅)まで歩くと宣言し、糠南駅から消えていった。
その後の私は1時間ほど、草原の中の駅でひとり口笛リサイタルを開催したり、意味不明の文字列を叫んでみたりと、自分ひとりの時間を謳歌することができた。彼に感謝したい。

彼とは引き返す列車で再会し、音威子府までオタ話をした。
彼はその後「旅は道連れ」とツイートしていた。旅は道連れである。
そしてオタクは臭う。もう同業者は雰囲気でわかる。

オタクの好きなもの全部のせアニメ

いま、リコリス・リコイルにお熱だ。
このアニメ、アニメ評論家によると内容が薄いらしいのだが、そもそもアニメの濃い部分までしっかり読み取れない私にとってはこれくらい適度に薄い方が見やすくてよろしい。黒髪・ロング・清楚 × 金髪・ショート・天真爛漫 × 美少女 × 美乳 × 百合 × 微エロ × ロリ × サイバー × アクション という、オタクの好きな要素を全部詰め込んで、いい〜感じに味付けしてある。どんな性癖を持つオタクでも取りこぼすことがない。

私は最初このアニメを普通に鑑賞していたが、これに気づいたときには感心してしまった。私が気づくくらいなので、実際に製作陣が意識しているのは間違いないだろうし、これに気づいている人も大勢いることだろう。
私たちは、製作委員会のマーケティングにまんまと乗せられてしまったのだ。ウケ要素てんこ盛りアニメ。

それから錦木千束(cv.安西千佳)さんは、もしかしたら初めて好きになった女キャラかもしれない。私は普段女性声優ばかり追いかけているくせに、今まで女キャラを好きになることはほとんどなかったのだが、千束さんは好きだ。キャラを好きになったのは俺ガイルの戸塚くん以来だ。
Pixivを漁り、めぼしいイラストはすべてすき!をつけたうえで保存させてもらった。
あとはキャラソンアルバムを出してくれればもう完璧である。

「誕生日おめでとうございます」

先月から右足の親指が腫れており、病院通いが続いている。
病院には実にいろいろな人がいる。中でも目立つのはやはり子供だ。3歳から5歳くらいだろうか。
外科の待合室には大抵いつも小さい子がおり、そして彼らが静かにしていることは少ない。何か気に食わないことがあるようで、かなり大層に泣いている。「ギャーギャー」というような擬音語で表せるような、生温かいものではない。それは魂の叫びだ。なんとか文字での表現を試みるならば、
「ぎぃ”ぃ”や”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”!!!!!!!!!!!!!!」
という感じになるだろうか。
私もこのように、狭い待合室のなかで、たくさんの見知らぬ人間がいるなかで、自分や他人に正直になって、またつまらぬことに腹を立てて体全体でその怒りを表明したいものである。

病院の階段を降りながら、こんなことを考えた。
そうか、子供は話してもわからないのか。子供を持つのは良くないな。でも泣いちゃうのは仕方ないね、子供だし。
あれ、そういえば私は大人のようだけど、まだ全然子供だな。

私ももう結婚することもできるし、酒を飲むこともできるし、タバコを吸うこともできる歳になった。
しかしまだどうしても実感がない。
西松屋のおもちゃ売り場は見ていて楽しいし、スーパーで一番楽しいのはお菓子売り場だ。
鼻くそが詰まっていたら、トイレに行くこともなくほじってしまうし、チンポジだって人目もはばからずに直している。

しかし私は自身のとても童顔とはいえない顔面もあることだし、やるべきところではきちんと大人の仮面をかぶって生活する必要がある。
大人に求められるのは「我慢」と「妥協」だ。自分があまり快いと思わないようなことでも我慢しなければならないし、自分があまり飲み込めていないようなことでも妥協して相手に合わせる必要だってある。
私はそれらについて、今まで我慢したこともそんなにないし、妥協したこともそんなにないつもりだった。

例えば私は誕生日を祝うという文化や行動が理解できなかったため、こういうことを考えるようになってから今までの間、人に誕生日おめでとうと声をかけることは果たして一度もなかった。コメントを求められる機会が何度かあったような気もするが、多分うまく誤魔化していたと思う。
それは、私がこれまで自分や周りに対して、良い意味でも悪い意味でも正直に生きてきたためである。

しかし私も大人に混ざって仕事をするようになり、自分が価値を理解できないものに、大多数の人が絶大な価値を見出している場合が多くあることを知るようになった。
だから最近の私は、ある程度割り切って仮面を被ることをはじめた。これまでと一転して、多くの人に
「誕生日おめでとうございます。素敵な一年にしてください」
と、心にもない言葉を投げかけ、ときには誕生日プレゼントを買って手渡すこともするようになった。
偽善でも、それをやって人が喜ぶのなら、やった方が結果的に自分の得になる場合が多いらしい。
それを知ってからは、自分の感情を仮面の裏に隠して、そういうことを多くするようになった。
これには私の考えが世界に理解されないのだろうなという世界への諦めが伴っている。ストレスとかはない。

そして最近、この仮面を被った姿が、大人になるということなのだろうな、と考えるようになった。
世界を諦めながら、うまく世界で生きていこうとする矛盾。
やってみるとわかるが、他人に嘘でも愛を振りまくことは、結果的に自分にとってプラスになる場合が多い。
つまりこの社会生活のなかで、利己的行動を追求した結果は利他的行動だったのである。自分がいちばん効率よく生きていくためには、仮面を被って人に媚びなければいけないのだ。

私が誕生日を祝う文化に対して理解ができないのは、取るに足らない問題であるから別に問題はないのだけど、それにしても大人は大変だ。
そして私を含めて、仮面を被ってまで生きようとする人の気持ちが、より理解できなくなった。多分この世の中で、「任意のイベントXに価値を感じていない人」同士が、任意のイベントXについて価値の交換をし合っているような現象は、結構多く発生しているのではないか。
それは端的に言って、エネルギーの無駄である。エネルギーを無駄遣いしてまで、生きる意味がよくわからない。

みたいな。