(2025年5月執筆)
言えなかった。
シコったことないから。
22年間シコってこなかった。これ普通じゃないらしい。
他人に話してもまず信じてもらえない。
建前上、私はシコる方法を学校で教わっていないから、これまでシコってこなかった。自慰の存在や手法自体は、流石に中学くらいになればどこからともなく知ることにはなるが、それでも学校で公然と教わらない以上、やってはいけないことのような認識が今も残っている。(セックスに関しても同様、お作法本当に知らないです)
しかし保健室に置いてあった男子向けリーフレットには「マスターベーションは綺麗な手でするように」「人に見られないようにするのがエチケット」「やってもいいしやらなくてもいい、個人の自由で決めること」みたいなことが書いてあり、え、何そのみんなやってるのが当たり前みたいな書き方。何にも教わってないんやぞ。と混乱したことを記憶している。しかし実質的には、色々な理由から間違いなくやったほうがいいものだ。そうならそうと教えといてくれ。
という具合で22歳までやってきた。もうここまで来ると、耐久戦みたいな感覚があり、謎のプライドが発生し始める。
「ここまで来たんだから三十路までNOシコりでいってみようぜ」
「一回も性の喜びを感じることなく生涯を終える方が一周回って有意義なのではないか」
みたいな。
高校の時、「俺今オナ禁して100日目」とかなんとか言っている男子がおり、それを取り巻きの連中が「すげ〜」と言っているのを耳にしたことがある。どうやら自慰というものは、100日やらなかったら周りから称賛されるくらいのものらしい。それを耳にした時点で、図らずも既にオナ禁6000日くらいの私は、ああ1回シコってしまったら、もうシコりを知らない自分には戻れないんだな〜と思い、上記の謎のプライドをより固くした次第であった。
また、いつの日か謎のおじさんが学校の前でキリスト教の布教をしていたことがあって、パンフレットをもらった時、おじさんのサイトに飛んで色々読んでいたら、おじさんは16歳の時に我慢できなくなって自慰をしてしまったらしいことが書いてあった。キリスト教では(聖書の捉え方次第らしいけど)自慰は罪であり、当時から熱心なキリスト教徒だったおじさん(少年期)は、僕は自慰をしてしまったんだ...。と相当苦悩したらしい。そんなに熱心で敬虔な信徒であっても、欲に負けてシコってしまうということを知ったときは衝撃だった。自分は特にそんな信仰をしていないのに、していないのだから。
そしてなんだかんだシコらずにここまで過ごしてきた最大の理由は、
怖いからだ。
めちゃくちゃ快感であるということは聞いている。だが怖い。自分の肉体にまさしく意図的かつ物理的に刺激を加える、加えられるということはこれまでにしたことがない。え、普通に怖いでしょ。そんな怖いこと、なんでみんな、してるわけ? しかもそんなに早くから。自然に。誰から教わったの?
その上、男女の皆さん、セックスまでしてはるんでしょ?
どこで習うの?お作法。えっちなことって、言ったりやったりしたら、ダメなんじゃないの?中学のとき周りの女子に配慮して教室で下ネタ絶対言えなかったあの空気感はなんだったの?なんで配慮してた方が未だにえっちのお作法わかんなくて配慮されてた方が俺よりえっちなことしてるんだよ。どういうことなんだよ。
それはさておき、今の私は、間違いなくシコらなければならないと確信している。
いま、私はいわゆる浪人をしており、毎日の波音は静かだが、間違いなく人生の節目にいる。とても重要な時期だ。頑張りどきだ。今年の大学院入試は必ず突破しなければならない。そのために勉強しなければならない。しかし実際には、ノートを開きながらポルノビデオ漁りに明け暮れている自分がいる。貴重な時間を浪費している。
プロ奢氏の言葉を借りると、「おちんちんパワー」に乗っ取られている。
note.com
私はこれまで男でよかったと思うことが全てで、女じゃなくてよかったと思うことが全てだったが、「おちんちんパワー」の代償は極めて大きい。
男は人間ではなく、足の生えたおちんちんだ。我(々)は真っ当な人間として生きたいと願うのに、自分がおちんちんであるジレンマに苦しまなければならない。女性各位は、ふざけてるのか、そんなの全然気の持ちよう次第でなんとかなる問題だろ、などと思うかもしれないが、これがなんとかならないのだ。生理現象の一種だ。
電磁場や重力場のように、男は24時間365日、常に強力な「おちんちんパワー場」から力を受け続けている。男というのはマジでおちんちんすぎる。目に入るもの全て、女かそれ以外かで見ている。見てしまう。私だって人間を人間として見られる人間になりたかった。私は基本的に男に生まれてよかったと思っているが、「おちんちんパワー」に関してだけは、これが存在しない女性のことを心底羨ましいと思う。このおちんちんパワー場は、社会にとって正の方向にも負の方向にも強力な起爆剤であり、それゆえに男は女に比べて色々な面で強い力を出せるが、同時に大きなリスクを背負っているのである。
今こそ、私はこの「おちんちんパワー場」から脱しなければならない。変なプライドを捨て、新しい自分にならなければならない。一時的にでも人間にならなければならない。さもなければ、目指す未来は見えてこないし、文字通り破滅の人生が待っている。
「おちんちんパワー」を一時的に解放するための方法こそが、自慰だ。そのために、私はいよいよ自慰の必要性に駆られた。自慰の後に入るとされている「賢者タイム」こそ、「おちんちんパワー」からの解放を意味するだろう。
いやっ
これまで約10年以上お預けされていた性の喜びを今知ってしまったら、私は狂った猿のようにおちんちんしごきに明け暮れる可能性もある。その先に待つのは破滅だ。
どうすれば
いや
新しい自分になる
そのためには
必要なんだ
まだ俺には「コーラ飲んだことない」も、「中学以来カラオケ行ってない」もある
できない...
いざシコるつもりでビデオを見始めたがそう考えると全然勃たない。一体何を見せられてるんだ、なんでこんなんで普段興奮してんだという気持ちにさえなってくる。
人間になるための切符を目の前で破り捨てられたような気分。絶望しながら今日のところは床に就いた。この駄文は次に突発的に高まった時のために取っておく。
翌日
今日ならいけるかと思ったけど、今日もダメだった。
あと一歩のところまでは行った。ちんちんは大きくはなったのだが、握り締めた時点ですでに萎え始めていた。すでに知っている方法のとおり皮を上下に動かしてみたが身体の内外に何も変化はなく、いつも通りチン先の謎液をティッシュで拭き取って終わった。包茎だからできないのかな?
なんか、取り残されている感覚がした。人が当たり前にしていることを当たり前にできないことは屈辱的だ。なんでもそう。人は「人それぞれだから」などといってフォローしてくれるが、本人にとっては大きな問題なのである。俺は一生何もデキないで終わるのだろうか。色々と。
そして運命の変わる日は唐突にやってくる
6月26日深夜
勉強をすっぽかして見ていた。何をとは言わないが見ていた。そしてめちゃくちゃ勃起していた。この時期は暑いのでパンツを履かずにバスパン一枚穿いて過ごしているので、下半身からは立派な一本木ヒルズが天高く聳え立ち、数年後には日本の新しい電波塔として普通に活用できそうな勢いであった。最近、取り憑かれたように勉強しているのもあってか、久しぶりに、めちゃくちゃ盛り上がっている。
ちょっと刺激を加えたらやばいかも。これ絶対後から謎液ジワジワ出てきてめんどくさいやつだ。
そして様子見をしようと、刺激を加えないよう、座りながら静かにバスパンを下ろし、ティッシュを装填しようとしたそのとき
手が当たってしまった。まずいっ。
いや。まずくないのかも。
今ならイケるのかも。 ※彼は初めての自慰をしようとしています
そう思って薄皮を下に一回下げたところ
あっ出てる出てる
うおおお
うわっ、すごい、出てる出てるw ドゥルルルって
これかあーーーーー射精というものは
記念すべき第一声は「これかあ」
自分が射精しているところを初めて目撃した。気持ち良いというよりようやく体験できたという感動の方が大きい。初めて見る白い液体がドロドロと、私の意志に関係なく、とめどなく流れるのが見えた。
そして射精とは一瞬で終わるものではなかった。私はてっきり射精とは水鉄砲みたいに、「ドピュ」っというよく聞く擬音語に表現されるように、一瞬で噴射されるものだと思っていたが、違うらしい。「出た!」じゃなくて「出てる出てる」だ。おしっこと一緒だ。これは新しい発見だった。
そして身体が射精を覚えてしまったら、次から私は興奮したら射精してしまうということなのか。今まではどんなに興奮しても例の謎液が出るだけで済んでいた。私は今までこの謎液をこれが精液かな?と思っていたが、今日、本物の精液がどういうものかを確認したので、あの謎液は精液でないことが明らかとなった。じゃあれは一体何だったのか?
だが、私にはまだ残っている。
私はまだシコっていないのだ。今日、はじめて射精しただけなのだ。登るべき階段はラスト1段、まだある。
その階段を登る日はまたいつか唐突にやってくるだろう。
(2026年2月17日)
卒論発表が終わった日の夕方、一悶着あった。もう大学生も終わるという日に。
研究室に視線計測装置がある。大した機械ではないが300万くらいするらしい。卒業したらもう、視線計測装置を触れる機会などないだろう。私は卒論がらみのことが全て終わったら、研究とは無関係に、この視線計測装置を装着して何かえっちな画像やら動画やらを観たいと思っていた。そういうものの鑑賞中に視線がどのように動いているのか気になるではないか。
キャンパスまで数時間歩いて登校し、卒論発表を終え、お昼はおにぎり一個。疲れて空腹の中、研究室には私以外いない。そして私は壁に背を向けて座っており、私の画面を見られる者は私以外にいないし、仮に誰かが部屋に入ってきても私の画面を見ることはできない。ここは公共空間であって公共空間ではない。私は悟られないよう(誰に?)おもむろに、視線計測装置を装着し、無音で端末にダウンロード済みビデオの鑑賞を始めた。
すると!!!!!
うおおおおおおお
ぬおおおおおおおおおおおおお
やばいっ。めちゃくちゃムラムラする。本当にやばい。今すぐトイレに行きたい。シコったことないのにめちゃくちゃシコりたいと思った。本当だ。シコるのが我慢できないという人を見聞きすることがあるがようやく気持ちがわかった。これは確かに我慢できないわ。
ま今そんなことどうでもいいや。トイレ行かないと。イヤホンどこだっけ。イヤホンないと。ガサゴソガサゴソ
あれ、どこだっけな?
あったわ。
そして見つけたイヤホンをポケットに突っ込んで、漏れそうな人の足取りでトイレに駆け込み、直ちに個室に入室し鍵を閉めて、イヤホンつけて、再び同じ動画を開いてみたものの、もう全然興奮しない。さっきのムラムラはどこへやら。
さっきのあの瞬間、トイレにいたら間違いなくいってた。夢精する直前みたいな強烈な感覚であった。シコる直前まで行ったのに、イヤホンを探している間に減退してしまった。疲れている時、空腹な時、声が出せない状態の時、これらが揃った時には要注意だ。要注意というかチャンスというべきか。
(2026年5月20日)
みんな、こういうことがあるって、よく気づいたね。誰に教えてもらったんだい。そしてなぜ誰も教えてくれなかったんだい。
寝っ転がりながら見ていたときに気がついた。
あれっ、これってうつ伏せに寝たらいつも夢精しちゃう時と同じでは?
思い返せば、夢精してしまう時はいつもうつ伏せになっている時だった。ということは、いまうつ伏せになればいけるんじゃないか。
大きくさせた砲台を上向きにセッティングし、うつ伏せになった。床のカーペットに押しつけられた砲台は横に押し潰され、歪んでいるのがわかる。
夢精の感覚に近いっ!!!これはいける気がするぞ!!!
一旦立ち上がり、ティッシュを4枚無造作にとり、パンツの中に詰め込んで再度うつ伏せになった。
今度は足を大の字に開いて、持続的かつ強制的な刺激を与えるべく、ケツを全身全霊で左右に振りまくる。
うおうおうおうおうおうお
もう私の目は画面を見ていない。目は虚ろになり、口からは唾液が糸を引いていた。
んんんんんんんんんん!!!!!!//////
う〜〜〜〜ん、?
うん
そしてピークが過ぎた。はぁ、やはり今回も不発に終わったか...。
と思いパンツの中のティッシュを回収すると!!!!!
ティッシュは!!!!!!
だいぶウェットになっていた!!!!!!!!!
ということは!!!!!!!
24歳。自分の意思で。初めて。いま私は、大人への階段を登りました。
みんなより10年くらい遅れて。
これって多分「床オナ」ってやつよね!?
なお、これが「床オナ」で合っているかどうか調べたところ、今回やったのはまさしく「床オナ」で間違いなかったが、どうやら床オナは不適切な自慰行為であり、EDになりやすいのでやらない方がいいらしい。
me-x.jp
なんだよ!!!せっかく扉を開けられたというのに!!!!!
ま、女の子と電話で喋るだけで●起してしまう私がEDになるなど到底考えられない。
世間は残酷だ。そして24歳にして初めてオナニーした感想だが、確かに気持ちいいは気持ちいいけども、一瞬だし、生の苦しみをチャラにできるほどの快ではないので、やはりこの世の快楽などというのはそこまで大したことないことがわかった。オナニーはこの世に生まれて良かったと思えるほどの強烈な快を伴うものだと勝手に期待していたが、そこまでではないようだ。中学受験の時に知ってたらもうちょっと違った人生が歩めていたかもしれない。ともあれこれからはえっちな絵とか見たらちゃんとぐうシコって言えるようになったので、それは良かった。
(良かったのか?)