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中学受験で精神崩壊してた話(子供視点)

中学受験でメンタル崩壊しているのは親視点の話ばっかりで、子供視点での話があんまりないので体験談を書こうと思い立った。子供視点での中学受験は大人への憎しみがただ積もっていく最悪の体験だった。

 

私は小4からN能研に通っていた。元々小学校の中では勉強はかなりできる方で、母親が一貫校の方がいいんじゃないかということで入れたらしい。入塾テストを受けたらボーダー1点越えでMクラス(最上位クラス)に配属された。Aクラス(1個下のクラス)にしてくれと言ったが「心配しなくても大丈夫ですよ〜!」などと適当なことを受付のお姉さんに言われて却下されたのを覚えている。

小4の時点ではまだ中学受験をするんだという認識はなく、進研ゼミだけだとレベル的にも量的にも足りないから塾に入れさせられたんだと思っていた。この時点では比較的楽しく通ってはいた気がするが、この頃から吃音が出るようになり、後からわかるが私は強いストレス下で吃音が出るようなので、すでに通塾はストレスであったようだ。小学校でよくある国語の時間の丸読みは恐怖の時間になった。「俺」「僕」が言いづらいのでこの頃から一人称が「私」になり、人格形成にも影響を及ぼした。

5年生になると突然塾の先生が受験受験と言い出すようになり、話の中で具体的な学校名が持ち上がり始める。志望校の希望調査がとられる時期でもあり、母親とオープンキャンパスや文化祭を回った。鉄道オタクだったので鉄道研究部の規模が大きい学校がいいなと思い、攻玉社(文化祭で鉄研が3部屋使っていて一番すごかった)、早稲田、武蔵、桐朋あたりの男子校を志望調査書に書いた記憶がうっすらとある。ただまだ受験することを本気にはしておらず、なんか周りが言い始めたわ程度だった。

5年生前半か後半、日特(志望校別の特別講座)を決めなければならない時期に入り、いよいよ、(あ、これマジでやるんだ)と感じ始めた。今まではなんとなく学校を見て、この学校行きたいかも〜程度の適当な感想を大人に伝えることでお茶を濁していたが、それでは済まない雰囲気になってきた。本当に受験するなら男子校じゃなくて共学がいいと思い(女子の友達も多かったので)、その旨を親と先生に伝え、志望校選びを駆け込みでほぼ0からやり直した。強いて言えば渋谷教育学園渋谷、渋渋を第一にしたかったが、渋渋は日特の枠がすでに埋まっていたので明大明治第一志望ということで枠の空いていた早稲田実業の日特に配属された。

え?塾の都合で志望校変えさせられるの?と思ったが別にどうでもいいことなので特に口答えはしなかった。書類上の第一志望である明大明治もそこまで行きたいというわけではなく、本当に行きたい学校はなかった。というか中学受験自体やりたくなかった。ここで初めてN能研が中学受験用の塾であることを意識し始める。

偏差値もこの頃から否応なしに意識せざるを得なくなる。Mクラスのボーダー偏差値は4教科平均で55であり、これを下回る状態が続くとAクラスに降格すると言われていた(N能研の偏差値は低めに出るのでたぶん+5くらいすると一般的な偏差値感覚になる)。私は4教科平均の偏差値が55±2くらいを推移していて、Mクラスの中では毎回熾烈な最下位争いを繰り広げており、いつ降格するのだろうと思っていたが結局最後まで降格することはなかった。社会の成績だけが飛び抜けてよく(特に日本地理)、社会に関してだけはMクラスの中でもトップ層だったので、それが効いていたのかもしれない。鉄オタは路線図や時刻表、地図帳をよく見ているので地理は得意なのだ。

その代わり算数と理科がボロボロであり、強面の塾長から直々に呼び出されてお前は社会はもういいから算数と理科を勉強しろと詰められた。めんどくさいのでさっさとクラスを降ろしてほしいと思っていたが、なぜかしぶとく落っこちなかったのでプレッシャーになった。

やる気は見られないが成績優秀なIくん(彼は開成に行った)、やる気があって成績優秀なOさん(彼女は桜蔭かJG)を筆頭に、その他のMクラスの同級生がどんどんバチバチになっている中、一人だけ気乗りしない上に頭もそんなに良くない(ことに気づいてしまった)万年最後列のガキがいた。私だ。ただ与えられた課題をこなすより他は何もやらず、授業中はいそいそと爪の垢をペンの先端でほじくり回し、最後列で強烈な冷房にこごえ、宿題の答えは毎回よしなに写していた。(N能研は授業の席が前から成績順に決まる)

特に算数。算数の先生があまり好きではなく、ただでさえ嫌いで苦手な算数に向き合うことなどできなかった。悪い先生ではないのだが、私のやる気のなさを見かねたのか一回夜遅い授業終わりに呼び出されて、本当に受験する気があるのかとか、受験は君が主役なんだとか、語気強めに説教されたのがきつかった。泣いて家に帰り、そのあたりから自殺を考えるようになった。死んでしまった方が辛いことから逃れられて楽だと思い、ビニール袋を被って寝てみたり、紐をベランダの物干し竿にぶら下げて首吊りしようとしてみたりした。だがあと一歩のところで全部ダメだ。もう片足を地から離せば死ねるはずなのに、足がプルプル震えてきて離せない。ホームに電車が入ってくるときも、ここで少し勇気を出して前に倒れれば楽になれる...とよぎるが、怖くて実行には移せなかった。当時の頭で考えられる楽に死ねそうな方法は全部試したが、結局死ねなかった。毎日絶望していた。自殺のニュースや人身事故で遅延した電車を見るたびに心底その人を羨ましく思い、また勇敢で天才だと思った。

小学校には男女ともに気の合う優しい友達が多く、楽しく通っていたが、笑ったら頬を自分で思い切り殴る、随筆を書く課題で随筆を書きたくないことに対する随筆を書く(呼び出された)、校長先生から何かの表彰でもらった手作りの立派な栞をハサミで細かく切り刻んで捨てるなどしており、今振り返れば結構しっかり精神崩壊していたように思う。それらは大人への叛逆の意思のささやかな表れであった。小学校の担任からも何度か呼び出され、苦しいことがあったら相談してくれみたいなことを言われた記憶がある。だが当時の私は、大人は全員敵だと思っていたので、相談することはなかった。

親に関しては、自分のためにお金も時間もかけてくれたことに関しては今となって感謝している一方、少なくとも当時は相談の対象ではなかった。何かを相談しても大抵問題はすぐに解決せずむしろ議論になったり説教になったりと面倒なことになるので、相談して面倒ごとになるくらいなら黙ってたほうがマシだというスタンスだった。家でよく喋る方だったが、自分のあらゆる発言が火種になりそうな気がしたので、家では「うん」「普通」しか喋らないようになった。受験の色々にも積極的に協力してくれたが当時は鬱陶しく感じ、放っておいてくれと思っていた。

という感じで誰にも相談することなくひたすら自分の中に負の感情を溜め込み続けた。同じ境遇(受験に後ろ向き)の友達はいないしまだ自分のスマホは持ってないしTwitterもブログもないので本当にどこにも発散できない。この時の希死念慮や鬱感、人生に対する悲壮感、絶望感は現在では落ち着いたものの、依然として変わることなく持ち続けてはいる。この点で、私は中学受験で健全な精神をひん曲げられてしまったと思っている。この先の人生で中学受験より辛いことは経験しないだろうと確信している。もしそこまで辛いことに直面したのなら、私は間違いなく、当時より大きくなった手と頭と財布を使ってこの世からのリタイアを完遂していることだろう。

結局受験本番までついぞやる気は一度も芽生えることなく、当日は隣の子が解答用紙に向かって祈っているのを尻目に、当時ハマっていたスマホゲームの期間限定イベントの攻略法を片手間で考えながら受験した。こんな調子でも1月の埼玉受験(開智の複数日程)は全勝した。最初の合格発表の瞬間は(あ、これでもう公立中行けないんだ...)と思ったのを覚えている。次いで滑り止め?の法政第一にも合格した。今はどうか知らないが、当時はマジで基礎的な問題しか出なかったので、受験当日に問題を初めて見た時はなんだよこんなんでいいんだったら今まで散々やってたの何だったんだよ塾通わんくても普通にやってりゃ解けるやんこんなのと思ってムカついた。明大明治は落ちていたが、もうなんでも良かったので落ちてようが受かってようが嬉しくも悲しくもなかった。もう受験は二度と・絶対に・永遠にしたくなかったので迷うことなく付属校である法政に進学した。その時点では法政大学という名前の大学は知らず、そこそこ有名な大学であることは後から知った。

入試から解放された後は生と死に関する哲学の本を公立図書館で借りて読み漁っており、中学入学後もだいぶ長い間希死念慮を引きずっていた。中1の時の担任は私が物々しいタイトルの本を読んでいることを心配していたらしいと後になって聞いた。人生に悲壮感を持ちつつも、ある程度前向きに過ごせるようになったのは高1くらいからだった。

中学受験は本当に良くない体験だった。だが中学受験している人というのは意外に多く、そういう人たちって当時どう思っていたのか気になる。意外に話す機会がない。才能とやる気のある子にとってはいいかもしれないが...。どっちも持ってないノーマルガキにとっては本当に地獄の日々で、おそらく、報道されないだけで毎年少なくない小学生が実際に死んでいるだろう。彼らに心から同情する。

一方で、今の私の思考力は間違いなく中学受験で勉強した(させられた)ことがベースになっており、それ自体には大変助けられているのもまた事実である。今やっている仕事も書く文も全部中学受験で身につけた知識や言葉をベースにしている。それだけでここまでやってきたといっても本当に過言ではない。逆に言えば私の知能は小6で止まっている。

受験勉強として良くも悪くもいろんな刺激を受けながら広範な知識を習得する時期というのは大事だと思うが、小学生には早いんじゃないかなと思う。中学とか高校くらいからで良いよね。小学生のうちは教養のため、なるべく多くの任天堂ソフトで遊んでおくことが大事だと考える。こんなこと(中学受験)を小学生に課す大人たちはシンプルに狂ってる。

まぁでも、当時の自分に何か声をかけるなら、そう声をかけることはしない。結局中学受験自体は大体が親の意思によって子供に課すもので、自分の意思でやめることは不可能に近いので、早く死んだ方が楽だよと普通に言うと思う。実際そうだし。そんなこと言ってくるお兄ちゃんが当時私の周りにいなかったのは幸か不幸か。