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やる気のない人たちの集合が「文系」説

きょう、卒論発表会がありました 私は休学しているので卒論は書いていないので 行かなくてもいいんですけど興味があるから行ったんですけど

衝撃を受けましたね、衝撃を

 

まず、私の所属するハンマー大学創生科学科は、人文科学から自然科学まで多様な研究室があるのが特徴的な学科で、卒論発表の内容も本当に様々。理論物理やってる人から経済学みたいな文理融合系、文学やってる人まで幅広く、それ自体はとても楽しい。私は色々なことに興味があってこの学科に進んだので、この学科の恩恵を享受できた日でもあった。(文系と理系という区分の仕方には違和感があるが、今回は便宜上このように分けて呼ぶ)

これまでずっと創生科学科のカリキュラムで学んできて、数学も物理もやったし、経済学も言語学もやったし、他にも色々やったし、理系の面白さも文系の面白さも理解しているつもりだ。大学院も人文科学系(日本語学)に進もうと思っていたくらいなので、理系の人たちによくある文系の勉強や研究を下にみる気持ちも全くない。むしろ人類の発展を紐解くうえで意義深い取り組みであると思っている。

 

だが、それにしても文系研究室所属学生の発表はひどかった。(ちゃんとしてた人もいたし、そういう人の発表はとても興味深かったが)

調べたことのまとめみたいな、1日あれば論文(?)とスライドの作成まで全部終わるレベルの発表をしている。新規性がないとかそういう次元の話じゃない。マジでネットで調べたことをただスライドにまとめて話してるだけ。どこが研究なの??????

しかも、すでに明らかになっていることを再確認して、特に確証もないままお気持ちで結論に持ち込んでいる(研究の具体例を出すとひどさが伝わるがそれはしない)。確証持てない結論を出して好奇心が満たされているのならそれは科学ではなくてただの自己満足だと思う。もし仮に、本当に好奇心でやっているのなら、もうちょっと真剣に真理を見つけようとしろ。

なんか、たぶん、多くの文系の研究(学部レベル)って、やる気がないんだと思う。本気じゃない。本気で真理を解き明かしたいと思うなら何らかのシステムが見出されるはずなのに、それが出てこなくて感想が結論になるのはおかしい。真理ではないから、または真理を求めるための正当な道すじを辿っていないから、その結論に納得できないのだ。人の考えや行動を100%掌握・理解できないのと同じで当然のことだ。だってそれは結論ではなくて感想なのだから。

そして、文系の学問を修める学生に対して、人文科学における真理を探求するための道すじを与えるのが最高学府の責務ではないか。4年間何してたのか本当に疑問だったし、先生もそういう卒論を通してはいけないと思う。先生も学生もどっちも舐めてる。

教育機関としてそれを放棄するのなら卒論なんて書かせないで単位だけ取らせて「教養ついたね!オッケー!」で卒業させれば良いし、気持ちやスピリットが大事だと言うのなら芸術系の学校みたいに卒業制作と題して作品を提出させれば良い。もしそういう、真理を探求するための営みがやりたくないのなら、本来は大学に来るべきではない。高校出たらさっさと就職したほうがよろしい。仕事もいいものだ。

理系と文系、両方学べるのが我らの学科のいいところだが、実態としてはしんどい理系研究を回避したい怠惰でやる気のない学生の行きつき先として文系(研究室)が選ばれている。そして同じことが全国スケールで起こっていると聞く。勉強したくないなら、しなくてよくない? もう大人なんだし。

文系の存在意義について考えてしまった。私は冒頭にも述べたように、文系が無駄な学問とはまったく思わないが、文系の学生と教員には本気でない人が多すぎて、本気でない人は自分が全くやりたいと思ってないし社会もそんなに求めてない無駄なことに中途半端にリソースを割いていて、結局、けっこう色々なところで無駄だ。多くの文系の学生は何のために自分がその勉強をしているのかについて明確に答えを持っているのか疑問である。教養を身につけることが目的ならお気持ち卒論を書く必要が本当にあるのか。卒業「論文」という名前がよくない。卒業「レポート」ならまだわかる。

その点、理系分野はそもそも効率化や正確性などを求めた結果として展開されているので、必然的に数字を使うことになり、個人のやる気に関わらず、ある程度は科学的な議論になる面がある。だから槍玉に挙げられにくいのだと思う。文系は本気にならないと科学的な議論になりにくいし、なんらかの秩序や理論を見つけたいのなら結局数字を取り入れるなり聞き取りやデータの母数を増やすなりして理系みたいな分析や解析をやらざるを得なくなってくることが多いわけで、(だから文系と理系で2つに乱暴に括るのは好きじゃないのだが)
やっぱりひとくくりに文系って言ったら単に何もやる気のない人たちの集合なのではないか?と考えてしまった。

4年間この大学の素晴らしい環境で学際的な学びを体験し、まさに学科が標榜する「理系ジェネラリスト」を体現しており、(一応は)理系でありながら文系にもある程度理解があると自負したうえで、このような結論になったことは自分としても大変遺憾である。またこれは一般論であって、一部の真っ当に人文科学に興味を持って研究している人文科学系の研究者の人たちには本当に申し訳ないと思う。彼らへのリスペクトは欠かしていない。ただ周りに流されてやる気もないのに進学する多くの学生とそれを奨励し認める大人たちに責任がある。

数字や数式が嫌いだったり苦手だったりするのは私もいま現在進行形で苦しめられているので死ぬほどわかるが、何かを本当に知りたいと思うなら、苦手だろうがなんだろうがそのために必要なツールには向き合わなければならない。その努力を諦めてしまうのならそれは本気とは言えないし、いわゆる文系の人はその努力を諦めている人が多い気がしている。大学の先生でさえ「わたし文系なのでわからないんです〜」などと言う始末。しかも教授職で。文系だからわからないんじゃなくてわかろうとしてないからわからないだけ。またはわかろうとはしているけど頭がついていかないからわからない可能性もある。いずれにせよ正直に「不学ゆえにわかりません」って言えばいいのに。

ってかそう言えないの?なんで文系であることを免罪符にするの?

 

あのやる気のかけらも感じられない卒論(笑)を提出することで彼らは「理工学」の学士号を得ることができるが、ふざけている。4年間の大学教育を受けたとは思えない。やる気がないけどお勉強が得意で入れたのなら大学で−7年分の教育を受けてると思う。私は推薦で本当になんとか入れてもらえた学科屈指の劣等生なので、彼らがおそらく私よりも要領の良い頭を持っていることが悔しい。そんなにいい頭を持ちながらそれを活かさないことのなんともったいないことか。そのいい頭、そうやってろくに使わないなら、まだ使う気のある私に本当に譲ってほしい。

私はすべての科学研究と大学がよい方向に発展することを切に願っている。また(本来の)文系の人は胸を張って文系だと名乗ってほしいし、単に学ぶことや究めることに対してやる気がない人は本当の文系の人に失礼なので文系と名乗らないでほしいと思う。