ひとばん寝かせたカレーはとてもおいしい

Twitterに載っけられない長文置き場

女性声優のご報告でととのいたい

自分を見つめ直す刻はいつも唐突にやってくる。

 

ご結婚おめでとうございます。
木野日菜さんは私が密かに推していた女性声優のひとりで、まさか結婚するとは考えてもいなかった。いや、正確には考えてはいたが、(実家暮らしっぽいし結婚は流石にまだ無いだろw)くらいの感じに捉えていた。
ご報告ツイートを見て、初めて自分の金で酒を買って飲んでやろうかと思った。結局もったいなくて断念したけど。

彼女いくつだったっけ?と思ってwikiったら26歳だそうだ。近年は20代でご報告する女性声優も増加の傾向にあり、恐ろしさを隠せない。
もう「あと(30 − 任意の20代女性声優の年齢)年は安心だな」とか、そんなことは言っていられなくなったのである。先日の赤尾ひかるさんに続いて木野日菜さん。この調子だとロリ声20代女性声優が危ない。長縄まりあさんのご報告はすぐそこだ。

さて、そもそも私やその他の一部のオタクは、自分と結婚することなんか叶わないはずの女性声優の結婚に対してどうしてこれほどまでに執着するのか。
最近気づいたのだが、それは、他人様の結婚が、いわゆる異常男性たる自分を見つめ直さざるを得ない機会になるためではないか。

一般男性とは一体誰なのか。一般の定義は何か。
女性声優が結婚したとき、あの娘が自分とは別の男と仲良くあんなことやこんなことをしていたと発覚したとき、
私たちは自分にとって都合のいい彼女像を一方的にただの1人の女性に投影していたその行為が、愚かであったことに気がつくのだ。
程度の差こそあれ。

人と関わるのが面倒臭い、彼女を作るのも面倒臭い。
そうして人付き合いから逃げた結果、私は偶像崇拝に走る。
画面に表示されている女性声優という偶像、そしてキャラクターという偶像。いつも愛想よくニコニコ笑顔で、一緒に表示されている偶像とそこそこ面白いことを言い合い、そして世間の女性から自分に向けて聞いたこともないような黄色い猫撫で声で自分に語りかけてくれる。

私が大きなゲップをしても偶像は嫌な顔ひとつしない。
当然、私が顔にできた大きなニキビをそのままにしていても、ご飯の後に歯を磨かずにくっさい口で偶像を見ていても、何も問題はない。
私は追いかけを続けてもいいし、飽きて離れてもいい。私が戻ってきたとき、彼らはいつでも笑顔で私を迎えてくれる。
そんな都合のいい存在に、私は一方的に都合のいい人格を投影して、夢を見る。

自分がやっていたことが偶像崇拝であったと気付くのは、ご報告のツイートを見た少し後だ。
自分のしていたことが愚かであったことに気づき、自分の現状を見つめ、そしてこれから幸せになる偶像を想像すると、不思議なことに、サウナに入ったあと外気浴をしているときみたいな感覚になる。
愚かな自分を見つめて自分を痛めつけたあと、そこから少し離れて瞑想を始める。これを何回か繰り返して、(あ〜「ととのう」ってこういうコトか〜)と、謎に合点する。
やっていることは体にとって負担になるはずなのに、この言いようのない快感。

やめられない。サウナは確かにちょっと気持ちいいし、女性声優は美しい。

次は石見舞菜香さんでととのいたい。「皆様にご報告があります。」もしくは「いつも応援してくださっている皆様へ。」の後に続く手書きのメッセージを読み進めるには想像を絶する痛みが伴うだろうが、その後の外気浴タイムでは筆舌に尽くし難い快感を味わうことができるだろう。

私が明日からも愚かな偶像崇拝を続けることは間違いない。