ひとばん寝かせたカレーはとてもおいしい

Twitterに載っけられない長文置き場

文系と理系

4月の所見です。毎月月末に書きます。

 

 

コロナ禍と大学生

今年から大学生の私たちは、コロナ禍の影響をもろに受けています。入学式は3部制での開催となり、授業が始まるまでに大学のキャンパスに行ったのは2回だったかな。去年の新入生は結局1年間で1回もキャンパスに行けていない場合もあるようで、これでも去年と比べたらいい方なのかなと思います。

私は家から出なくていいので楽でいいですが、ウェイ系の子は大変かも。

友達づくり

えー友達は、今のところできていません。恐らく今後もできることはないでしょう。

高校時代の狭い付き合いの中で、なんとかやっている状態。できてはいませんがいるにはいるので、全くいないよりはマシだと思います。

大学生活において、友達の存在は必要不可欠です。どこかの授業で、「友達がいないことから学業に支障が出て、不登校になってしまう学生も少なくない」とか言っていましたが、友達がいないと学業に支障が出るという日本の学校のシステムは、何とかならないものか。そんなこと憂いても仕方がないんだけど。

高校時代までは、自分のプライベートタイム(登下校・昼食・オフの日)を割かなくても、普通に学校生活を送っているだけで強制的に人と接するので、自然とそれなりに友達ができます。

しかしながら、大学は、そもそも対面授業が少ない(週一回)上に、授業の座席が自由席なので、強制的に人と接する機会は見込めません。サークルに入るやら、アルバイトをするやらして、自分のプライベートタイムを積極的に友達付き合いに割かなければ、友達をつくることはできません。

というか、普通の人ならば、プライベートタイムが友達付き合いのために消化されることは考えるまでもないごくあたりまえのことで、友達付き合いに時間を”割く”という発想が、そもそもないんじゃないかと思いますが。

Twitterで知った子と入学式に一緒に参加しようが、ガイダンスの日に一緒に履修登録をやろうが、その付き合いが持続されなければ友達にはなりえません。一回きりの共同行動はお見合いのようなもので、関係とは継続的な共同行動によって成り立つのです。

と考えたら、一回きりのお話で友達なんかできねーや!となって、友達作りはすっぽり放棄することになりました。

今までプライベートタイムを友達付き合いのために一切割いてこなかった私には、これはあまりに酷な話です。まぁそのうちゼミに入ったら友達できるだろうから、それほど心配はしていません。

履修登録

誰もが口を揃えて面倒くさいというのが「履修登録」というものです。これは確かに面倒くさい。システムや条件が複雑。こんなめんどくさいこと、させてくれるなよ。

従来の大学生は多分紙ベースでやったものを窓口に提出したんじゃないかと思いますが、私たちはすべてオンラインで行いました。そのWebシステムが締め切り間際に鯖落ちして、大変でした。みんな死んでました。

サークル

我がキャンパスのサークルは、ちょっと微妙です。他のキャンパスのサークルも見てみて、鉄道研究会、声優研究会、ピアノ同好会、交響楽団吹奏楽部)、あとインカレの口笛サークルに興味を持ちましたが、

鉄道研究会→余所行きは絶対一人がいい

声優研究会→オタサーやん 眼鏡の度が強くなりそう

ピアノ同好会→ピアノは自分のペースでやりたい

交響楽団→練習がめんどくさそう

口笛サークル→合宿やだ

という理由で全ボツ。合宿やだって、それじゃどのサークルにも入れないけど!!?どうやら社会のシステムに向いてないみたいです。

授業

対面実施ができるようになって喜んでいた学生もいたようですが、意外と、というかほとんどオンライン授業です。残念だったね。対面授業は私は週に一回ですが、取っている授業によってはもっと多い場合もあるようです。

もう授業はオンラインでも対面と遜色ないレベルのものが受けられるようになっているので、私は一向にオンラインで構いません。むしろオンラインの方がメールで気軽に質問できるので、いいかもしれない。いや、いいです。

理系のくせに理科と数学できないちゃんなので大学での数学と物理をとても心配していましたが、物理は力学のりの字から始めてくれるので、今のところは大丈夫。今のところは。

対して数学は特に微積が何言ってるかわかりませんが、これは多分、ちゃんとやっててもわかんないやつだと思われます。今までやってきた数学は理論にいろいろと穴があったところを、数学オタクたる大学教授の先生がどんな状態にも当てはまる完璧な理論を説明しているような、そんな感じ。抜け目のない理論なので色々と細かい条件がついてきて、そこがちんぷんかんぷんです。

大学の先生は研究者なので、わかりやすい説明や授業を求めてはいけません。自力で学び、質問し、学びを深める。授業は先生の独り言。我々はその独り言を、高いお金を払って聴いている。先生はそのお金で研究する。大学はそういう場所です。

それから問題の演習量は高校と比べて圧倒的に少なくなりました。今は大丈夫だけれども、今後もそうかは一切不明。多分だいじょばないと思われる。

文系と理系

世の中には、4種類の人間がいると思われます。

  1. 小学館の図鑑NeoやNewtonに全く興味を示さない人間。
  2. 小学館の図鑑NeoやNewtonを手に取って、読む人間。
  3. 小学館の図鑑NeoやNewtonを読むのが好きで、読み通す人間。
  4. 小学館の図鑑NeoやNewtonを読み通し、とりわけある一節だけを熱心に読み込んだり、計算をはじめたりする人間。

多くの人は1つ目に当てはまります。そもそも学問に興味がない。学ぼうとしない。勉強なんてまっぴらごめんだという人。自分の意見もなく、ただメディアに踊らされる、多くの日本国民であります。

2つ目の人、こちらは文系の方々であります。人文系に興味があって、理科にはあまり興味がない人たち。人文系も、Newtonみたいな一般向けの研究雑誌みたいなのがあるといいのにね。ないのかな。

そして3とんで4つ目に当てはまる人間は、言わずもがな理系の人たちです。計算志向、研究志向の人。いるんですよ。なんでも計算したい人。

では、3つ目の人は、なんと呼んだらいいのでしょうか。理科に興味はあるけど、計算はしたくない、あるいは苦手。それから人文系にも興味がある、みたいな、理系にも文系にも分類できないような人達。これをある人は「ネオ理系」と呼んでいましたが、そもそもこいつらは「理系」なのか?

結論から申し上げますと、3つ目の人たちは「文系」です。

 

文系学部の理系授業の資料をお取り寄せして見てみたところ、理科の面白いところだけをかいつまんで取り上げている印象がありました。これはまさしく「小学館の図鑑Neo」そして「Newton」です。

対して理系学部の理系の授業では、なんでもかんでも数値化して、計算し、定義し、解を求めようとします。それが理学の基本的な姿勢ですが、計算嫌いにとってはなかなかしんどい。理科が好きだから理系学部に来てみたものの、私の好きな理科は、その表層であるにすぎなかったのです。

ということで、3つ目に当てはまる人は、理科という学問が好きな理系の顔をしておきながら、理科の学問の表層の甘い汁だけをなめて満足している文系なのでありました。

そして私は、この3番目に属する人間なので、いま絶賛苦労中です。文系の勉強は本を読んでいれば自分でできることがほとんどなので、あえて今から文系の学部に転部しようという気は(今のところ)ありません。しかし、そういう人間が理系学部に入ると、「あれ...?俺って理科好きなんだよね...?」とギャップに苦労する、というのは申し上げておきたいことです。

今のところ理系に進学してよかったことは、自らの理数能力や成績を棚に上げて文系の学生を「楽でいいなあ!」とか「学生の本分を忘れて営み事ばかりしている!」とか嘲って非難できることしかありません。 みっともないのでやめたほうがいいと思います。

 

果たして進級できるのでしょうか。今後も頑張ります。