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ぺこぱ、つまらなくなった?と感じている

おことわり

昨今「誹謗中傷」がひとつのテーマとして、特に芸能界隈では厳しい目が向けられていますが、この記事ではぺこぱさん、及びその関係者に対する誹謗や中傷の意図は一切ありません。

最近のぺこぱ

M-1決勝に出場後、バラエティやネタ番組への露出が激増した、ぺこぱ。

漫才の固定観念を覆す「つっこまない」スタイルがバラエティ受けし、王者であるミルクボーイをも凌ぐかの勢いでブレイクしている。

しかし最近、バラエティ慣れしてきたぺこぱの漫才は、垢抜けてきて以前の面白さがなくなってしまったように感じる。言い方が少々悪いが、劣化したか?とも感じるようになってしまった。

先日、フジテレビで5/23に放送された、ENGEIグランドスラムREMOTEでぺこぱの漫才を見たとき、悶々としたものが確信へと変わった。

彼らは、垢抜けてしまった…

どういうことなのか、彼らの漫才を例にとり分析する。

ぺこぱ式漫才に慣れた

松陰寺(の中の人の松井さん)は、抱擁の心の持ち主ではないと、各メディアで語っている。松陰寺太勇はもちろん、キャラである。

M-1出場以降、「ツッコまないツッコミ」「肯定漫才」「やさしい漫才」というワードともにブレイクを果たしたぺこぱだが、そもそも本来の松陰寺のツッコミスタイルは受容でも肯定でもなく、ただポジティブシンキングなだけである。

実際にM-1のネタでは、休憩のくだりのように相手を肯定するものも勿論あるが、軸となるのは自分を中心として、起こった事実に対して否定しないというものである。

ポジティブシンキングは結果として相手を許容することになるため、メディアによってぺこぱ(の松陰寺のツッコミスタイル)に対して「受容」「肯定」「やさしい」「新時代」といったレッテルが貼られた。

かくして、ぺこぱの漫才には、上記のような要素も暗に求められることになり、「受容」や「肯定」といった要素もより強く漫才に散りばめられた結果、後述するように『ただ肯定するだけで笑いに繋がらない』状況が生まれてしまった。

ボケに対して、期待を裏切ることで笑いがとれるはずが、期待通りのツッコミをするようになってしまったのである。これにはぺこぱ側と聴衆の双方の慣れもあり、ぺこぱにはツッコミの新鮮さがより求められるし、聴衆側もぺこぱに対して、直接「やさしい漫才」を求めることはナンセンスなように思う(ポジティブとやさしい漫才の関係性については後述する)。

「~とも言い切れないだろ」の多用

松陰寺は、これを魔法のワードとして、「時を戻そう」とともに紹介している。スベったら「時を戻そう」、肯定ツッコミが思いつかなかったら「~とも言い切れない」。

実際にこれらは、かなり強い。特に「時を戻そう」は最強である。M-1決勝では、このワードだけでひと笑いおきていた。スベったときにこれで確実に笑いに変えられるのはめちゃくちゃ強い。

さて、「~とも言い切れない」だが、これは単体では面白くはない。後に上手いことを言えれば笑いに繋がるが、「~とも言い切れない」だけでは笑いは起きない。このワードは、即興のコメントやツッコミには便利だが、漫才に関して言えば、テンポを悪くするだけである。ボケの余韻が残っているうちに笑いたいところを、少し待たされるからだ。

今回のENGEIグランドスラムでの漫才から例にとると、

シ「あのー、ぺこぱの松陰寺さんですよねぇ?」

松「はい」

シ「サインって」

松「もちろん」

シ「いりますか?」

松「いらねぇよ!
とも言い切れないだろ!
将来君が大物になる可能性もあるからね。

このツッコミでは、「いらねぇよ!」で否定したものを「とも言い切れない」で肯定に持っていくスタイルだが、当然、「いらねぇよ!」では笑いは起きない。「とも言い切れないだろ!」、「将来君が大物になる可能性もあるからね」まで言って笑いが起こるはずだが、実際にはここで笑いは起きていなかった。

「~とも言い切れない」はテンポが悪い上に、後に上手いことを言わないと笑いに繋がらないため、その後ただ肯定するだけでは肯定しただけで笑いに繋がらないのである。せっかくボケが1つあるのに笑いをとれないのは勿体ない。

このツッコミは、厚かましくて申し訳ないがポジティブでも何でもなく、ただの「相手の受容と肯定」である。ポジティブ・シンキングの結果としてそこに在るはずの「相手の受容と肯定」が、一番最初に来てしまっているのだ。

加えてこのツッコミは言い切るまでにブレス(息継ぎ)が多いためテンポが悪くなっている。途中ブレスすることなく一文でツッコんでいればここで笑いが取れたのではないだろうか。

「~とも言い切れない」は便利だが、それは普段はポケットに忍ばせておくのがいいように思う。漫才ではせっかく事前にツッコミが決められるのだから、ブレスなしで言い切るツッコミで固めてしまうとテンポよくできそうである。M-1では、途中にブレスするツッコミはほとんどなかったと記憶している。

「~とも言い切れない」以外にも、ブレスを挟むツッコミ、そしてただ肯定してしまうだけのツッコミが増えてきた。それ自体を悪く言うつもりはないが、それによってテンポが悪くなってしまったのは間違いないように思われる。

シュウペイが面白くなった

シュウペイが、この半年で面白くなった。

キャラが強い芸人のいるコンビは、もう片方が「じゃない方」として扱われることも多くある話だが、シュウペイは強烈なキャラを持つ松陰寺を相方に擁して尚、ぺこぱのもう一人として存在感を示している。

M-1前のシュウペイは知らないので当然と言えば当然だが、間違いなく面白くなった。

しかし、ぺこぱの漫才中は、シュウペイが面白くなることには、些かの問題がある。

2019決勝進出者でいうとたとえばインディアンスのように、ボケが一発芸タイプですでにボケだけである程度完結しており、ボケだけ切り取っても面白いコンビもあるが、ぺこぱの場合、ボケがボケだけで完結してしまうと、松陰寺がツッコんだときに冷めてしまうことがある。

これはいつか忘れてしまったが、過去に見たぺこぱの漫才の中で、シュウペイがボケた時点で、松陰寺がツッコむ前に私が笑ってしまったものがあった。私の笑いのツボが変だったと言われればそれまでだが、そのときのシュウペイのボケは確かに「面白かった」のである。

その後、松陰寺がいつものようにツッコまないツッコミを当てたが、ボケがボケた時点で面白かったために、そこは「肯定」ではなく一般的なツッコミの形である「否定」であったほうが面白かったなと、考えてしまった。

ここは、ぺこぱの伸びしろだと思う。ボケも普通に面白い、ツッコミも的確で面白い、というコンビは山ほどある。シュウペイのボケが面白くなってきた今、それを生かせる「松陰寺式ツッコミ」を考え出せるか、期待が高まる。

シュウペイの喋る時間が長くなった

漫才中にシュウペイの喋る時間が長くなった。M-1では、シュウペイのコンパクトなボケと松陰寺の異様に長いツッコミが、独特のテンポを出していた。しかし最近では、シュウペイの喋る時間が長くなり、漫才中に松陰寺との軽い掛け合いもおこなわれるようになった。これによって、漫才のテンポが他のコンビと同じようなものになってしまい、独自性が薄れてしまった。シュウペイもただの能天気お兄さんになりつつある。

シュウペイも喋り、松陰寺も喋るので、テンポが悪くなってしまった。

またぺこぱの漫才では、必然的にツッコミの尺が長くなってしまうので、ツッコミの文言を言っている間は、ボケは待たなくてはならない。その待ち時間を、あの何とも言えない、何を考えているのかわからないあの顔で観客の方を見ているというポジションは、シュウペイにしか務まらない。

しかし、収録のネタ番組では、松陰寺が突っ込んでいる間は、カメラは松陰寺に抜かれてしまう。松陰寺がツッコんでいる間、シュウペイがどんな顔をしているのか、わからないのだ。

松陰寺が厨二チックなツッコミをしている間に、その意味がわかっているのかいないのかわからないようなアホな顔をしているのも面白いのに、である。

これに関してはテレビカメラの特性上、目立つものを抜こうとするので仕方ない点もある。シュウペイの魅力を布教していくしかありません(使命感)

おわりに

ぺこぱは「やさしい漫才」をする、という刷り込みを演者(ぺこぱ)も聴衆も受けてしまった結果、ぺこぱはそういうコンセプトの漫才をせざるを得なくなったのだろうと推察される。本来のぺこぱの漫才スタイルは「受容」でも「肯定」でもなく、「ポジティブ」であった。ポジティブのその先にあるものまで走って看板を取りにいくことはない。「第7世代」のワードと同じく、不本意に意味だけが流布している状況と少し似ている。

ポジティブ・シンキングは、自己の捉え方を前向きにしていくものであって、相手の受容や肯定とはまた別の話である。相手を受け入れるためにポジティブになるのではなく、自分を受け入れるためにポジティブになるのだから。今のぺこぱは、自分を受け入れるためではなく、相手を受け入れるためにポジティブになっている。結果が目的になってしまっている。ポジティブシンカー・松陰寺太勇がそれをはき違えてしまったら、どこかで必ず行き詰まってしまうだろう。

受容や肯定というキーワードだって悪くないが、お笑いとして考えたとき、いまのぺこぱのスタイルの原点に立ち返り、あくまで松陰寺がやっているのはポジティブ・シンキングだと、理解するのが望ましい。それが結果として、相手の受容や肯定、そして「やさしい漫才」につながるのである。

また、ここでずっと「昔のぺこぱの方がよかった」と懐古していると、ただのそこら辺のオッサンになってしまう。変化を受け入れることも必要だ。ぺこぱの二人が、その道が正しいと信じてその道に進んだならば、外野からは四の五の言うことはない。ただ静かに見守り、そして応援するだけだ。

これからのお二人の活躍に期待しています。

 

ぺこぱチャンネルは尊いので全人類見てひれ伏すことを推奨します。ロンリネース!

https://www.youtube.com/user/yuta2668