ひとばん寝かせたカレーはとてもおいしい

Twitterに載っけられない長文置き場

卒業旅行?(3日目)

3/23 北海道東日本パス旅行の3日目です。

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 青函フェリー(青森200→函館600)

青森で2時間待ち。待合室は深夜でも煌々と明るく、そして静か。ソファには肘掛けがついており、横になることはできませんでした。旅客として乗船したのは4人かな。

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ノスタルジックな感じがある

客室の画像

客室

客室は雑魚寝スタイルのオール二等室という感じ。座席ないんだーと思ったけど、多分この船自体が深夜便専用のものなんだと思います。深夜便専用船のくせして、自動アナウンスは大音量で容赦なく流れました。

渡島半島が見えます

起きたら北の大地が見えていました。

函館の待合室はソファに肘掛けがなく、横になれるタイプでした。時間があるので1時間ほど寝かせてもらいました。

函館港から函館駅までは徒歩40分。もうそこそこお腹がすいていたので函館でご飯食べようと思っていましたが、函館駅前って地味に何もないんだよね。駅ナカタリーズしかやっておらず、コンビニは品揃えが終わってました。仕方ないので森でいかめしを買うことにして、汽車に乗り込みました。

セイコマートくらいは駅前にほしいよね

普通:長万部行(函館817→長万部1138)

駒ヶ岳がきれいです。

 

駒ヶ岳の画像

駒ヶ岳(だよね?)

森駅で10分停車。鉄オタの同志たちは次々と汽車を降り、駅前のいかめし屋へと向かいます。私もそれに続きます。

 

いかめしの外装

いかめしの中身

森のいかめし

このサイズ感が好きなんだよね。味はうめえーーー!!!って感じではないけど、素朴でおいしい。爪楊枝をつまんで持ち上げて頬張る、この食べにくさも風情というものです。

いかめしと車窓

長万部駅前の画像

長万部駅

前来た時も乗り継ぎでかなり待たされたのですが、今回もそんな感じです。なんか目に留まったソフトクリームを食べて一息ついたあと、どうやら長万部温泉というのが歩いて10分くらいのところにあるらしいので行ってみました。一本道の両脇に温泉旅館が散在し、どこも日帰り入浴をやっているようです。

 

www.marukinryokan.jp

丸金旅館さんにお世話になりました。入浴料は500円で、源泉かけ流し露天が決め手になりました。飲泉もできるみたい。

お風呂は私が出るまで貸切でした(私が上がると同時に入れ替わりで2人入ってきた)。源泉温度は44℃で、露天は春の北海道の外気に晒されてちょうどいい感じでした。体感39℃くらいかな。冷たい風も時折吹いて気持ちよかったです。

内湯も掛け流しの44℃で、こちらは熱くてすぐ出てきてしまいました。飲んでみたら、海水のようにしょっぱかったです。海の近くの温泉だからかな。

湯上がりは汗が止まらなくて、喉が渇いたので近くのセブンイレブンまで歩いて惰性で牛乳を購入し、口に流し込みました。もうそれはそれは美味しかったです。絶頂でした。

まだ汽車の時間まで40分ほどあったので、駅からちょっとまっすぐ歩いて海岸まで行き、波を眺めながら土手に腰掛けてボーッとしました。火照った体をさわやかな潮風が冷やします。なんて贅沢なんでしょうか。

本当に最高です。

2時間の乗り換え時間で、ここまで満足な時間を過ごせたことはなかったかもしれません。四季折々違った顔や楽しみ方があるのが日本のいいところだね。それにしても長万部、めちゃくちゃ良いわ。まんべくん最初はキモかったけど、今では可愛いです。次来た時にTシャツを買おうと思います。

普通:倶知安行(長万部1318→倶知安1458)

H100型の画像

3日前くらいに登場したH100型

湯上りで気持ちよくなって爆睡しました

普通:小樽行(倶知安1518→小樽1628)

ちょっと物理やりました。

普通:岩見沢行(小樽1638→岩見沢1821)

全車自由席uシート車両連結。ということは普通乗車券のみでuシートに乗車できる。快適に利用させてもらいました。Wi-Fiもありました。

札幌付近で大分混みましたが、机を出して悠々と勉強(YouTube)することができました。

普通:滝川行(岩見沢1828→滝川1907)

物理やりましたよ(投げやり)

普通:富良野行(滝川1912→富良野2017)

物理飽きたので日本語検定の勉強しました。

富良野のスーパーで安くなったお惣菜かなんかを買って夕飯にしようと思っていましたが、思ってたよりスーパーが遠くてやめました。

普通:旭川行(富良野2044→旭川2143)

旭川で何食うか考えてました。

考えた結果ラーメンにしました。

豚骨系醤油ラーメンです。

そこそこ美味しかったです。

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卒業旅行?(2日目)

3/22 北海道東日本パス旅行の2日目です。

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快速:あがの 会津若松行(新潟825→新津839)

発車時間が迫ってたのでとりあえずこれで坂町まで行こうと思って焦って乗り込んだら、そういえば快速あがのって磐越西線の快速だから、新津に行っちゃうよね。間違えました。坂町まで行くのは「べにばな」だね。

快速あがのはちょっと前までE120+キハ110で運転されていたのですが、なんかGV-E400に置き代わってました。もう磐越西線にキハ40走ってないのかも。詳しく知らないけど。

普通:新潟行(新津845→新潟901)

間違えたので戻ります。

普通:豊栄行(新潟915→豊栄937)

30分後に村上行があったのですが、30分待つのダルいのでとっとと豊栄まで行っちゃおうと思いました。

豊栄は何もなさそうだったので、待合室で物理やりました。

普通:村上行(豊栄1005→村上1054)

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全然はかどらない

物理の続きやりました。

村上は7,8年くらい前に来ましたが、ほぼ変わってないような、変わったような。自動改札あったっけかな。

3時間くらい待たされるので村上城跡に行こうとしましたが(往復徒歩1時間)、途中でポツポツ雨降ってきたので引き返しました。その後待合室で案件を片付けて、ちょっとだけ物理をやりました。ようやく一段落してひと安心です。あ、「一段落」って、正しくは「いちだんらく」って読むらしいんだけど、知ってた?

普通:酒田行(村上1348→酒田1615)

数年前もそうだったんだけど、村上駅発の普通酒田行きっていつも発車の結構前から入線してるくせに、ドア開けてくれないんだよね。変なの。

こちらもキハ40からGV-E400に変わってて静音化していました。てかこの区間電化してんだからE129でよくないか。

まぁ車窓は相変わらず綺麗です。曇りなのがちょっと残念だけど。

普通:秋田行(酒田1630→秋田1819)

どうやら大学入学前に物理と数学のテストがあるらしいです。数字がダメな理系なのでまずいです。対策を強化しなければなりません。ということで寝ました。

秋田で夕飯にしようと思ったのですが、秋田、手頃なメシ屋がないです。新潟で寿司を食べそびれたので寿司がよかったのですが、駅ナカ(?)にあった寿司屋はグレード4(MAX5)くらいのちょっと高級そうな感じで、カラーコーディネート完全無視のクソダサ旅行着で入る気にはなりませんでした。まぁなんでもいいなら吉野家とかロッテリアとかあるんだけども、なんか気分じゃなくて。ということで青森のすき家で3種のチーズ牛丼を食べることにして、秋田では小腹満たしのためにファミマへ。

 

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うまいけど少ない

めちゃくちゃ美味いと噂のお母さん食堂のスモークサーモン。確かに美味いんだけど400円近くするくせに量がめちゃくちゃ少なくて、グミでも買って噛んどきゃよかったかなと後悔。

普通:青森行(秋田1923→青森2223)

青森までは3時間のロングラン。今晩は満足に寝られないと思われるので寝とこうと思いましたが寝ようと思うと寝られないのが世の常。アニメ進撃の巨人を2つ見て物理やりました。

青森ではチー牛を食すためすき家青森西店まで徒歩15分。

 

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マジで顔面これだった

一口目はおいしかったけど二口目から微妙でした。多分一口目は空腹効果だと思います。生野菜は薬臭く、コップはほのかにコーヒーが香ってました。もう行かないと思います。60億年ぶりにすき家に入ったのですが、浮気してはいけない、やっぱ松屋だわ。

 

食後の散歩として青森港まで徒歩30分。夜間便で函館まで移動します。

 

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東京は桜が満開とのことでした

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卒業旅行?(1日目)

3/21 北海道東日本パス旅行の1日目です。

高尾駅から

普通:甲府行(高尾802→甲府949)

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211系もいつまで見られるかな

中央東線の211系にはロングシートVerとボックスシートVerがありますが、ロングシートVerでした。私は空いてればロングシートでもいい派です。

西に行くときも東に行くときも、いつも中央線です。西に行くなら塩尻から中央西線、東に行くなら松本から長野方面に抜けて東北に繰り出すことが多いです。中央線が好きなので。

雨の日も雨の日の良さがあって良いですね。

猿橋あたりの車窓

猿橋あたり

普通:松本行(甲府1005→松本1214)

眠かったです

普通:長野行(松本1229→長野1349)

眠かったです

普通:妙高高原行(長野1412→妙高高原1506)

寝てました

妙高高原やっぱ寒いです。夏きた時に超ヒンヤリしてたので印象的だったのですが、春来てもやっぱヒンヤリしてた。

普通:直江津行(妙高高原1510→直江津1559)

日本語検定の勉強しました

普通:長岡行(直江津1625→柏崎1709)

E129系は静か

北陸新幹線が開通する前に乗ったときは115系が爆音モーターで走行してた信越線も、E129系になって随分快適になりましたね。

普通:吉田行(柏崎1720→吉田1836)

国鉄ボックスシートもそろそろ見納めでしょうか

115系でした。やっぱ田園風景の中を115が爆速で駆けてるのが「新潟」って感じしますね。ていうか113系115系区別つかないよ。

普通:新潟行(吉田1843→新潟1933)

(無駄に)8連のE129でした。1両貸切でした。足伸ばして物理やりました。

新潟駅めちゃくちゃ変わっててびっくりしました。ズラっとホームが並んでる地上駅だった記憶が強くて。今はなんか高架ホームがあったり地上ホームがあったり、わけわからんことになってます。

新潟でお寿司を食べようかなと思いましたが初日なので遠慮しときました。

お宿スーパーホテル新潟駅よりダッシュ3分です。雨降ってたのでビチャビチャになりました。

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人がパンツを穿くのはなぜか考える

どうもこんにちは。

今日はパンツを概念的に分解してみたいと思います。

なんでそんなことを考えたのかといえば、この前読んだ漫画のどこかに「見せパン」の描写が出てきたからです。

いつだって学問というのは、くだらない疑問から発展してきたのですから、パンツについて考えを深めることには学問的な正当性があるといえるでしょう。

またこれは、理論ではなく感情で動く人間の動きや心理を、できるだけ理論に当てはめてみよう、という挑戦でもあるのです。

※センシティブな内容が含まれます

 

パンツを定義する

さてパンツを考えるにあたって、まずはパンツを定義する必要があります。

なぜ定義しなければならないのか。一般に日本では、パンツという言葉には大きく2つの意味があるので、便宜上パンツの言葉が示すものをそろえておく必要があるからです。

www.google.com

解説はGoogle先生に譲るとして、ここでは私の主観に基づいて、以下のように単純に大きなくくりでの「パンツ」を定義したいと思います。

パンツ

これ以上明快な定義があるでしょうか。

定義になっていない?大丈夫です。定義することは目的ではないのですから。

これはあなたが恐らく今想像しているパンツです。それは私が今想像しているパンツでもあります。

ここでパンツを定義する理由は、これからパンツを論じるにあたって、あなたと私の想像するパンツを同じにすることです。そこに相違がなければ、目的は十分に達成されています。

見せパンはパンツなのか?

早速、今回の問題を考え付くに至ったきっかけである「見せパン」について考えます。

「見せパン」とは何か

「見せパン」は「パンツ」なのでしょうか?

私は、「見せパン」は「パンツ」ではないのではないかと思います。

じゃあ見せパンは何なのか?そう考えるのは自然です。

明快にお答えしましょう、見せパンとはパンツの名前を冠した、ただのズボンであると。もしかしたら「見せパン」の「パン」は、もともとズボンという意味の「パンツ」という可能性もあるけど。多分そうじゃないよね。

「見せパン」というのは、名前にもある通り「見えること」「見えてしまうこと」が前提になっているわけです。

どんなことがあっても「パンツ」は見られてはならない。そのために、「見せパン」という1枚を仕込んでおいて、「パンツ」が見られるかもしれないという万が一に備えているものだと思います。

さてこの見せパンですが、もちろん「見せパン」というものが市販されているということは存じておるのですが、正味なんだっていいわけです。

よくあるのが、体育着の下を穿くみたいな。これだって立派な見せパンになるわけですが、この場合、「見せパン」と自称したり他称されることってあんまりなくて、「下にズボンを穿いている」という「下にズボン」という文章での表現になるんじゃないかと思います。「下にズボン」状態に当たる形容詞や名詞は存在しないので。

ということで、見られていいレベルが違うだけで、「見せパン」はズボンなんじゃないかと。こういう結論になりました。

 

「パンツは隠せ」と教えられる

さて、「見られてもいいパンツ」=「見せパン」=「ズボン」なんじゃないかということを書きましたが、それでは、「見られたらダメなパンツ」とは何なのでしょうか?

恥部を見られるのはダメ、というのは100歩譲ってわかるのですが、その恥部を隠す「パンツ」を見られたら嫌だ、というのはどういうことなのでしょうか?

これには、当然「下着を見られるのは恥ずかしい」という意識文化の刷り込みが前提にあります。

幼少期からは、我々は「パンツは隠せ」と教えられるのです。それが人間社会の秩序であるという、悪魔的な理由によって。

「パンツを見られることが嫌」という心理は、その刷り込みに加え、パンツが「見られたらいけないように(=下着として)作られている」ということに起因するのではないかと思います。

たとえば、ノーパンで普通の半ズボンを着用している状態を考えます。

このとき、半ズボンは皮膚と直接接触しており、あらゆる衣服の中で一番皮膚に近く、下にある存在なので下着とされるべきです。

しかし、この状態は、多くの人が(多少の羞恥心を感じながらも)見られてもいい状態にあると考えるのではないでしょうか。下着であるのにもかかわらず。

これは、半ズボンが、「見せるために作られている」衣服だからです。

しかも、半ズボンは、ノーパンの状態でも恥部が見えてしまうことをおおむね防ぎます。ノーパン半ズボン状態が「見られてもいい」のは、この安心感によるものでしょうか。これがショートパンツ(ズボン)だったら、同じようにはいかないと思われます。

人は自然に「見えてはいけないもの」が見えている状態を解消しようとします。パンツは、「本当に見られてはいけないもの(=恥部)」を隠し、それ自体も「見られてはいけないように」初めから作られているのです。

パンツは、言わずもがな最後の壁。

そして皮肉なことに、保険であるはずの見せパンというパンツならざる存在が、パンツを秘匿しパンツの価値をより高めています。

一般に、見る頻度の低い珍しいものほどその価値は上がり、見る頻度の多いありふれたものほどその価値は下がります。

パンツを隠そうと努力するということは、自らのパンツの価値を上げているということに他ならないのです。

パンツも見せるために作られてるよね

それにしても、どうしてパンツは見られてはいけないものと多くの人が捉えるのに、可愛げで端麗なデザインが多いのでしょうか。それって全部「見られること」が前提だと思うんだけど。

見られないことが前提なんだから、装飾なんて一切ないほうが合理的だし、万が一の際にも安全(?)じゃん。と。

 

あの綺麗なフリルやリボン一つ一つは、決して不特定多数の人間に対しての服飾ではないのです。

あれらの服飾は、平時には隠されることで、大切な人にお披露目するときの価値が高められているのです。

パンツの服飾は無駄な装飾どころか、生物にとってむしろ一番大切な装飾なのかもしれません。

あなたはなぜパンツを穿くのか

脱ぐためにパンツを穿く

なぜ人間がパンツを穿くのかについて考えてみましょう。

脱ぐために穿く、穿くために脱ぐというのは、当然です。

当然というのは、普通であるということです。考えてみると、私たちは普段ほとんどの時間パンツを穿いています。

つまり、パンツを穿いているというのは「日常」です。パンツを穿いているということは、日常を過ごしていることの証なのです。

意味を返すと、パンツを脱いでいるときというのは、非日常ということになります。

さて一般に、脱ぎたいと思ってパンツを脱ぐときはどういうときでしょうか。

それは、風呂とえっち時です。トイレでも脱ぐじゃないかと言う人がいるかもしれません。トイレでパンツを脱ぐのは排泄するためで、トイレを楽しむためではありません。もしパンツを脱がずに排泄が済むなら、わざわざパンツは脱がないのです。

そして風呂を楽しむのは、もしかしたら日本人特有かもしれません。海外では風呂(シャワー)は単なる清潔を保つための手段にすぎないのかも。そうすると、脱ぎたいと思ってパンツを脱ぐのは実はえっちするときだけなのでは。

非日常を楽しみ、体験や価値を最大化するときのために、我々はパンツを脱ぐのです。そしてその理由はそのまま、パンツを穿く理由でもあります。

別に、非日常時に外せばいいのなら、何だってよかったのです。ピアスや指輪などのアクセサリー類でもいいし、腹巻きやリストバンド、靴下とかでもよかったはずです。

それがあえて性器を隠すパンツ。この本来的なパンツの働きから考えても、えっちの体験をより高める一つの道具であるというパンツの存在意義は、的を射ているものと思います。

パンツは、日常と非日常をつなぐツールだったのです。

秘部を隠すのはお互いのため

単純な話、いつも見ているものは見慣れるのです。

人類が裸で歩いていたらどうでしょうか。最初は楽園だと思うオスの皆さんがおられるかもしれませんが、それもちょっとすると飽きてきます。

ちょっとやそっとじゃ勃たなくなってくるんでしょう。知らんけど。なんせ生で見たことがないもんだからさ

生物的には、異性に興奮しない状況は好ましくありません。繁殖に影響が出て、子孫が残せなくなるかもしれないからです。

人間は思い付きました。セックスの時に使うものは、普段は隠しておけばいいじゃないかと。

覆われることによって、見えないことによって、性的魅力がより引き出されるではないかと。

性的魅力が上がることは重要です。肉体的な性的魅力はあるもの以上増えることはありませんが、道具によってそれを増幅させることができるとあらば、そりゃやるでしょ。くだらないことのようですが、人類という種の存亡に直結していますから。

そして特に秘部に関しては、2重バリアの要領で、かなり硬めにガードするようにしました。こうすれば秘部はより隠され、人間の想像力が性的魅力を格段に飛躍させます。その飛躍の度合いはもはや無限。ミロのヴィーナスと同じで、人間は目の前に見えないものに対して、とんでもない想像力を働かせるのです。

今まで数多のオス少年がもどかしい思いを抱き続けてきたパンツという代物は、あろうことか、オスたる少年自身のためにあったのです。

透明なパンツを穿こうと思うか

透明なパンツがあります。あなたは、これを穿きますか?

パンツを穿くことの根源的理由は前に書いた通りですが、今日において、パンツを穿く理由はそれだけではありません。

パンツを穿いていれば、ズボンを毎日洗濯しなくてよいのです。

今日パンツには衛生的な面、保温性など、衣服としての着用理由があります。人によってはこっちがメインじゃないか、何を今更みたいな人がいるかもしれませんが、ちょっとパンツを冒涜しすぎではないですか。

衛生という面で考えれば、一枚布がそこに「在れば」良いだけなので、色や装飾などは関係ないはずです。それなら、透明なパンツでも不足はありません。私は普通に穿くでしょうね。私は自粛期間でノーパン生活にハマってしまったので、夏なら穿かないかもしれないけど(誰得情報)

そんな透明なパンツを穿くなんてとんでもない、という方もいることでしょう。中にはその理由づけができる方も、できない方もいるでしょうが、どちらにしても卑下する必要は全くありません(というか真剣に考えるヤツなんかいるんだろうか)

「なんか嫌」でもいいのです。人間は理論ではなく、感情ベースで動く、変な生き物なので。それが説明できないのも、説明できるのも、あなたが人間である証拠です。

 

終わりなきパンツ

松岡禎丞さんのキャラソンに「終わりなきパンツ」という歌があります。アニソン界ではお馴染みの畑亜貴さん作曲なのですが、非常に興味深いためここに全文引用させていただき、見解を述べて結びとしたいと思います。

はてなブログJASRAC管理楽曲利用許諾契約を締結しているため、個別許可なく歌詞の掲載利用が可能です

 

終わりなきパンツ

愛徒勇気(cv.松岡禎丞) 作詞:畑亜貴

 

手を伸ばしても届かないのは

何故なんだろう

そこにある 確かにあるとわかっているから

もどかしいのさ

 

君のぬくもり包むその布

ああ…大好き。

カタチより色より 存在が愛おしいよ

もっと もっと ただ近くで感じてたいんだ

 

恥ずかしがりの苺ちゃんでも

悪い娘ぶったレースの黒でも

僕は受け止めるから

さあ見せてごらん

見たいんだほら見せてよ Wow wow wow

 

あきらめないと決めた時から

夢はいつしか誓いに変わる

脱がなくてもいい

だから触るだけさそれだけだよ

嗅いでみたいそれだけだよ

 

君を守ってる小さな鎧

無力なふりで実は手強い

だけど許して 許して欲しい

大好き過ぎるパンツは…終わりなき夢さ…

 

あきらめないよ あきれないでよ

夢をいくつか抱きしめながら

震える心 いまは

さあ見せてごらん

見たいんだほら見せてよ Wow wow wow

 

あきらめないと決めた時から

夢はいつしか誓いに変わる

脱がなくてもいい

だから触るだけさそれだけだよ

嗅いでみたいそれだけだよ

 

これを書いているのが女性というのがまず衝撃ですよね。畑亜貴さんマジで天才やろ。知ってたけど。

少年がパンツに対して抱いている葛藤や憧れがギュッと詰め込まれています。

 

手を伸ばしても届かないのは

何故なんだろう

そこにある 確かにあるとわかっているから

もどかしいのさ

 確かに存在するけど、決して見えないし届かない壁。

こんなにもどかしい存在も、パンツくらいのものでしょう。

 

君のぬくもり包むその布

ああ…大好き。

カタチより色より 存在が愛おしいよ

もっと もっと ただ近くで感じてたいんだ

 どんなに飾ったものでも、あるいは質素なものでも、

パンツの存在や概念の前には到底太刀打ちできません。

概念がすでに崇高。

それから「君のぬくもり」はガチで天才。

 

恥ずかしがりの苺ちゃんでも

悪い娘ぶったレースの黒でも

僕は受け止めるから

さあ見せてごらん

見たいんだほら見せてよ Wow wow wow

 さあ見せてごらんはアカンでしょ。

見せられたものに価値なんてあるのか?

 

あきらめないと決めた時から

夢はいつしか誓いに変わる

脱がなくてもいい

だから触るだけさそれだけだよ

嗅いでみたいそれだけだよ

 本当にパンツの歌かこれ?

「あきらめないと決めた時から夢はいつしか誓いに変わる」って。

涙ちょちょ切れてきましたよ。

 

君を守ってる小さな鎧

無力なふりで実は手強い

だけど許して 許して欲しい

大好き過ぎるパンツは…終わりなき夢さ…

感動した。結びの言葉としてこれ以上のものがあるでしょうか。

もうこの詩をもって結びとかえさせていただきたいと思います。

お疲れさまでした。

以上です。

 

 

 

そういう高校生活

(卒業文集に載録したものです)

高校生活を振り返ったとき、楽しかった思い出をすぐには思い出すことはできなかった。これはすなわち、私の高校生活がそういうことだったということを意味する。しかし、不思議とこの3年間に対しての後悔はないし、未練もやり残したことも特に見当たらない。これは私が、特に楽しいことがなくても生活できるということなのだろうか。否。もう後戻りできない、若くある今という時間を過ごしたからなのだろうと思う。

今という時間は人生の中で一番若い一瞬である。とりわけ「青春時代」という肩書きがついている限られた期間のうちには、何かの崇高な目標を達成しても、ただ怠惰におぼれても、どんなことをしたかなんて関係なく、過ごした時間に価値がある。この文集には多くの高校生活の後悔が綴られているだろうが、それは各々個人の考えであるに過ぎない。「その時間を過ごしたこと」に対して、俯瞰的に見るとそれに価値があるのである。

そんなことを書いているうちに、高校生活での印象的な出来事が思い出されたので、述べていこう。高校2年生の文化祭では、私は独走することの楽しさを学んだ。企画である映像の制作から、教室内のデザインに至るまで、ほとんどすべての作業・雑務を行い、文化祭当日は両日ともフルタイムで仕事に励んだ。この教室に企画をよりよくしようという雰囲気はなかった。彼らの目指すところはクラスの団結ではなく、インスタ映えする写真を撮ることであった。もはや私の独走に対して、諫める者も止める者も現れなかった。独走はエスカレートし、私の辞書からは「頼る」という言葉が削除された。いつしか私はこの企画は俺の企画であると錯覚した。

俺の企画は中間発表を学年1位で通過し私を歓喜させたものの、最終発表では予期せぬ他組の追い上げを受け、2位への転落をもって幕を閉じた。無念の首位転落に対し、どうやら悔しがっているのは私ひとりのようであった。

しかし私は満足であった。これまでに味わったことのない喜びと責任は、すべて私の独走によって得られた私の感情である。何人たりともこの感情を味わうことはできないのである。この事実は私の独占欲を大きく刺激した。私はHIKAKIN氏の言葉「全部一人でやって責任も利益も独り占め」を固く胸に誓い、いつも通りひとりで家路に就いた。

そういう高校生活であった。

 

プロキシマ・ケンタウリに生命は存在するか?

論文要旨

 昨今の宇宙開発・宇宙科学は、一層の広がりを見せている。過日には、元ZOZO社長である前澤友作氏が、SpaceX社の民間有人宇宙船Starship号の座席を全て購入したとして話題になった。宇宙科学分野では、史上初であるブラックホールの撮影成功や、JAXA小惑星探査機「はやぶさ2」の、サンプル・リターンの成功のニュースなどが記憶に新しい。これらのニュースが世間を賑わすことは、かつて研究者だけに見えていた宇宙という存在が、より身近になっているということを示している。

そんな中、つい先日飛び込んできたこのニュースに、筆者は大いに胸を躍らせた。それはプロキシマ・ケンタウリ(以下「プロキシマ」と呼称)の方向から、謎の電波信号が届いたというニュース[1]である。これは、プロキシマに、電波を発信することができる知的生命、いわゆる宇宙人が存在するかもしれないという、まるでSF映画のようなニュースである。科学の発展により、このような、かつては夢の中でしか起こり得なかったようなことが現実になる日は近いだろう。

本稿では、プロキシマについて簡単に説明した後、プロキシマの持つ惑星系に生命、そして知的生命が存在することができるのか、その可能性について検討する。

 

 

 第1章 序論

本章では、プロキシマと、プロキシマの惑星系、プロキシマb・cについて簡単に解説する。

 1.プロキシマ

 プロキシマとは、太陽系から4.2光年の位置に存在する赤色矮星である。太陽系から一番近い恒星として知られ、また注目の対象となることも多い。ケンタウルス座アルファ星の三重連星の中で最も小さく、その大きさと質量は太陽の1/7程度である。放出されるエネルギーは太陽の1/1000ほどしかない。明るさは11等であり、地球から一番近い恒星ながら、その姿を肉眼で観測することはできない。現在確認されているうちでは2つの惑星を持っており、その惑星系はプロキシマに近いところからそれぞれプロキシマb・cと呼ばれる。

 

2.プロキシマの惑星系

2-1.プロキシマb

 プロキシマbは、現在確認されている中ではプロキシマに一番近い軌道で公転している。プロキシマとプロキシマbの間の距離は約750万kmで、太陽系に換算すると水星軌道の内側になるほど、主星(プロキシマ)に近い軌道で周回している。惑星の質量は地球の約1.3倍で、地球と同じ岩石惑星である。プロキシマのハビタブルゾーンに位置しているため液体の水が存在する可能性があり、地球外生命の存在に期待が持たれているハビタブル惑星である。

 

2-2.プロキシマc

 プロキシマcは、プロキシマbよりも外側の軌道を周回するプロキシマの惑星である。分光観測によって存在が予測・確認された。MIT Technology Review [2]は、プロキシマcについて、『正確な質量は分からないが、推定では少なくとも地球の5.8倍の質量があることになり、岩石主体の「スーパーアース」か、ガス主体の「ミニ海王星」の可能性がある。赤色矮星プロキシマ・ケンタウリの軌道を5.2年で周回していると見られ、ほぼ間違いなく居住可能性はない。温度は−233.15℃と見られる』としている。

 

第2章 プロキシマの環境

 本章では、プロキシマとその惑星系について、その環境が生命の発現・生育・進化に適しているのかどうかを論じる。

 

まずは生命存在の基本条件を、阿部(2015)の主張[3]によって、

  1. 液体の水・有機物の存在と、エネルギーの供給
  2. プレートテクトニクスによる温室効果ガスの安定供給と、地表温度の安定
  3. 大陸の存在

と単純に仮定する。そしてこの3要件を満たした場合には、必ず生命が発生するものとする。阿部は、地球外生命がまだ確認されていないことから、生命のモデルとして地球に存在する地球型(炭素型)生命を前提とした議論を行っている。従って、異形の生命や、地下や海底における生命の存在可能性については、阿部の定義では検討の範囲外であることに留意しておきたい。

 

プロキシマの惑星系の中で、生命存在の可能性が考えられるのはプロキシマbのみであり、プロキシマcには生命存在の可能性は極めて低い。生命の発生に必要な有機物はプロキシマb・cともに存在が確定していないが、プロキシマcはプロキシマから離れた位置を公転しており、プロキシマのハビタブルゾーンには入っていない。よって、表面には液体の水が存在せず、水が存在しても個体の氷になっている可能性が高い。

ハビタブルゾーンから離れていても、液体の水が存在する場合がある。土星の衛星エンゲラドスは、太陽のハビタブルゾーンの外にあるのにもかかわらず、氷の表面の下には液体の水の海があることがほぼ確実視されている。これには、「潮汐加熱[4]」と呼ばれる現象が影響している。また、長寿命放射性元素の崩壊熱も、恒星以外の熱源(エネルギー源)となる場合がある。

プロキシマcの中心星であるプロキシマは比較的小さい天体であり、プロキシマからある程度の距離を周回しているプロキシマcに十分な潮汐加熱が発生しているということは考えづらい。放射性元素の崩壊熱を考慮しても、生命生育に十分なエネルギーが供給されていることはないものと考えられる。従って、本論ではプロキシマbにおける生命存在の可能性のみを考えるものとする。

 

1. 液体の水・有機物の存在と、エネルギーの供給

1-1.液体の水の存在

そもそも生物に液体の水が必要である理由について、阿部は、生命は代謝を行って物質を体外・体内に出入りさせているため、物質を出入りさせる媒質として液体が必要である。中でも水は物質として宇宙にありふれており、物質的な振る舞いにも優れ、媒質として最も適しているため、生命の存在には水が必要であると述べた。

プロキシマbはプロキシマのハビタブルゾーン内に位置しており、液体の水の存在要件を満たしている。現時点ではプロキシマbに関して、水の存在を裏付ける証拠は見つかっていないが、ここではプロキシマbの表面には液体の水が存在していると仮定する。

 

1-2.有機物の存在

 有機物は、生物の身体を構成する材料となる物質であると同時に、代謝によって取り込まれたり、取り出されたりする物質である。

プロキシマbに関して、現時点で有機物の存在を明確に示す証拠は見つかっておらず、有機物の存在を確定させることはできない。プロキシマ系を太陽系に当てはめ、プロキシマ系が太陽系形成に関する古典的標準モデル[5]で形成されたと考えると、プロキシマbが有機物を持つことのハードルは、そこまで低くないものと推測される。換言すれば、プロキシマ系の成り立ちが仮に太陽系と同じであるならば、プロキシマbも地球と同じように、有機物を含んだ小天体の衝突によって有機物を獲得することが難くないということである。ここでは、プロキシマbの表面に有機物が存在すると仮定する。

 

1-3.エネルギーの供給

 エネルギーは、そのまま生命の活動のエネルギーとなる。言うまでもなく、エネルギーは中心星であるプロキシマからの光エネルギーが、安定して十分に供給されるものと考えられる。

 

2. プレートテクトニクスによる温室効果ガスの安定供給と、地表温度の安定

 プレートテクトニクスとは、惑星におけるプレート運動理論のことである。プレート運動には、二酸化炭素をはじめとするガスを、大気中から地中へ、地中から大気中へ循環させる働きがある。プレート運動の必要性について阿部は、プレート運動によって温室効果ガス(二酸化炭素)が大気中と地中を循環することで、地表の温度が長期間に渡って安定して調整されると述べている。さらに阿部は、地球以外の惑星にプレート運動が存在しないことについて、液体の水によって硬いプレートが軟化される可能性を指摘した。液体の水が存在すればプレート運動が発生すると考えると、ここまでの仮定より、プロキシマbにプレート運動が存在する可能性を仮定できる。

 

3.大陸の存在

 大陸が存在することで、二酸化炭素石灰岩として大陸に固定され、二酸化炭素の循環量が抑制される。また、生命の必須元素であるリンが海中に供給される。リンが海中に供給されるためには大陸が存在し、その岩石が風化して海に流れ込まなければならず、ここで大陸の存在が重要となる。

 プロキシマbにおける大陸の存在に関しても、明確な証拠がなく、これを確定させることはできない。やや安直ではあるが、プロキシマbに大陸が存在すると仮定し、生命存在の基本条件3つがすべて満たされたことで、プロキシマbに生物が存在しているとする。

 

4.プロキシマbの過酷な環境と、生命の存在可能性

 上に示した仮定によってプロキシマbに生命が存在するとしても、実際には生命の安定した存在は難しいのではないかと考えられる。

 プロキシマbはプロキシマに近く、プロキシマの影響を受けやすくなっている。アルマ望遠鏡は、2017年3月24日、プロキシマの巨大なフレアを観測した[6]。このフレアは太陽で観測された最大のフレアより1000倍大きかったという。プロキシマbが仮に大気や磁場を持っていると仮定しても、これほど大規模なフレアによる強い紫外線照射を主星の近くで受ければ、地表の生命が生存することは難しいだろう。大気や水そのものがフレアによって剥離してしまう可能性も考えられる。

また、アルマ望遠鏡は10時間の観測で、2分間フレアを観測した。これは、このフレアと同程度、あるいはそれ以上の規模のフレアが、宇宙の時間規模で考えると頻繁にプロキシマで起こっているということを意味する。頻繁に大規模なフレアが発生し、その影響を大きく受ける環境は、生命が安定して存在することができる環境とは考え難い。

 長沼・井田(2014)[7]は、さらにM型星(赤色矮星)のハビタブルゾーン内の惑星の環境について、M型星のハビタブルゾーン内の惑星は中心星に近いため潮汐が強く、潮汐ロックによっていつも同じ面を中心星に向けるため、昼側と夜側で寒暖差が激しく、加えて強い風が吹いている可能性を指摘した。このようにプロキシマbの表面は過酷な環境と考えられ、高等生命の安定した生育は難しいのではないかと結論付けられる。

 長沼・井田は、同時にトワイライトゾーン[8]の生命居住可能性について、トワイライトゾーンでは、エネルギー源となる光が供給され、紫外線やX線も弱くなり生命居住の可能性があると言及した。プロキシマbは過酷な地表環境ではあるが、トワイライトゾーンならば、放射線にある程度耐性を持った単細胞生物・微生物が存在する可能性は考えられる。ただし、居住可能範囲が狭く、また居住可能範囲の外は過酷な環境であるため、それらが高等生命に進化する可能性は低いと推測する。

 

 

第3章 プロキシマbにおける、知的生命の存在可能性

本章では、第2章の内容に踏み込み、プロキシマbにおいて、知的生命が進化することができるのか、その可能性について論じる。

 

知的生命について、ドーキンス(1976)の提唱した「ミーム[9]に沿って、ここでは「遺伝子だけでなく、文化によっても情報を伝えることができる生物」と定義する。

長沼・井田(2014)は、酸素呼吸(好気呼吸)は無酸素呼吸(嫌気呼吸)と比べエネルギーの発生量が10倍以上大きく、これが多細胞生物を進化させ、感覚器官や処理器官を発達させたため、知性には酸素が必要と結論づけた[10]。この結論に基づき、ここでは知的生命の発生条件を、生命存在の基本条件に加え、酸素があることとする。

 

原始地球の大気には、酸素はほとんど存在していなかった。地球では、20~25憶年前にシアノバクテリア[11]光合成によって大量の酸素が発生し、大気中の酸素濃度が爆発的に上昇した。これを一般に「大酸化イベント」や「大酸化事件」と呼ぶ。この大酸化イベント以降、嫌気性の生物は絶滅し、好気性の生物が進化を遂げたとされる。

このように、好気性生物、ひいては知的生命の存在には、大気中に一定程度の酸素が存在していることが条件となると推測される。また大気中に一定の酸素が存在する場合、元から大気に酸素が存在していた場合と、地球のように元々酸素は存在しなかったが、後天的な環境変化によって酸素が大気に存在するようになった場合の2通りが考えられる。そしてどちらの場合でも、その酸素が安定して維持されるためには、代謝によって酸素を排出する独立栄養生物、すなわち植物の存在が欠かせないだろう。

プロキシマbの場合、第2章で述べた通り、プロキシマのフレアや強い紫外線の影響によって、大気は剥ぎ取られているものと推測され、元々大気に酸素が十分に存在する可能性は低いとみられる。さらに、強い放射線照射のため植物の生育が難しく、十分な酸素が安定して供給される可能性は薄い。現在のところ、プロキシマbの大気中に十分な量の酸素は存在せず、従って知的生命の存在可能性もほとんどないと結論付けることができる。

 

 

 

第4章 結論と展望

 本章では、結論と今後の展望について述べる。

 

 結論として、プロキシマbには生命の存在可能性はあるものの、実際にはプロキシマの強烈なフレアや潮汐ロックの影響などによって、生命が安定して存在することは難しいものと考えられる。存在したとしても、放射線に耐性のある微生物や単細胞生物に限定され、複雑な構造の生物の存在の可能性は低い。酸素が安定して供給されないため、知的生命の存在可能性も、ほぼ皆無と言える。

 プロキシマはまだ観測途上で、不明な点が数多くある。今後、さらなる観測や分析の積み重ねによって、プロキシマのより詳細な情報が明らかとなるだろう。またプロキシマbの生命居住可能性についてより複雑な検討が行われることは、単にプロキシマbの生命居住可能性のみならず、他の系外天体の生命居住可能性にも役立つことが期待される。そこで得られたデータや知見が今後の系外惑星研究、また系外衛星の研究に大いに役立つことを願って、展望とする。

 

 

おわりに

 本稿は、太陽の隣の恒星系の惑星であるプロキシマbの、生命存在の可能性について検討した。プロキシマはホットジュピターをはじめとする異形の惑星を持つわけではないが、太陽から一番近い恒星という点で、人類の関心は高い。プロキシマを含むケンタウルス座α星に超小型探査機を送るという計画(ブレークスルー・スターショット計画)もある。この計画は技術面の問題で当分は実現不可能であるが、好奇心を刺激する計画であることは間違いない。隣の星がどんな姿をしているか、見てみたいものである。

系外惑星の生命存在についての議論が活発に行われる一方で、系外衛星に生命が存在できる可能性も考えられる。木星の衛星ガニメデとエウロパには潮汐加熱によって内部海が存在することがほぼ確実視されている。特にエウロパは大気を持ち、ミネラルと酸素が供給される可能性も考えられている。土星の衛星エンゲラドスは、液体の水、有機物、熱源といった生命に重要な要素を併せ持っている。同じく土星の衛星タイタンは、濃密な窒素大気を持ち、地表面では液体メタンが地球の水と同じように循環している。長沼・井田(2014)はこの循環について、長期間安定して継続すれば生命の住む環境となりえると述べた[12]。もはやハビタブルである条件に惑星である必要はない。観測技術の進歩により、系外衛星も観測できるようになると、この分野の議論もより活発になるだろう。そして、多角的・学際的な生命存在の検討が行えると、今後の探査計画にも、その研究がより生かせるのではないかと考える。

 今回は、地球型(炭素型)の生命を前提に論じたが、宇宙は広大で、生命全てが地球型というのも、それはそれで考えにくい。その環境に応じた進化をして、我々には想像もつかないような生命維持システムを構築しているかもしれない。今はまだ、それは学術的に論じられるほど十分なデータがなく、その議論はただの夢物語に過ぎないのだが、いつか地球外生命が発見された暁には、果たして我々は普遍なのか特殊なのか、その答が出るのだろうか。今後の研究が楽しみである。

 

参考文献・脚注

井田茂 『系外惑星と太陽系』 岩波新書 2017年2月出版

長沼毅・井田茂 『地球外生命』 岩波新書 2014年1月出版

阿部豊 『生命の星の条件を探る』 文芸春秋 2015年8月出版

 

The Guardian国際版 2020.12.18 https://www.theguardian.com/science/2020/dec/18/scientists-looking-for-aliens-investigate-radio-beam-from-nearby-star (最終閲覧日 2021.01.09)

 

MIT Technology Review 2020.01.17

 https://www.technologyreview.jp/nl/there-might-be-another-exoplanet-hiding-around-our-closest-star/ (最終閲覧日 2021.01.11)

 

アルマ望遠鏡 2018.02.26

 https://alma-telescope.jp/news/proxima-201802 (最終閲覧日2021.01.13)

 

[1] The Guardian国際版 2020.12.18 https://www.theguardian.com/science/2020/dec/18/scientists-looking-for-aliens-investigate-radio-beam-from-nearby-star より(最終閲覧日 2021.01.09)

[2] MIT Technology Review 2020.01.17 https://www.technologyreview.jp/nl/there-might-be-another-exoplanet-hiding-around-our-closest-star/より(最終閲覧日2021.01.11)

[3] 阿部豊(2015)「生命の星の条件を探る」

[4] 大きな星の周りを公転する天体が、その母天体の重力によって引っ張られて変形することを潮汐変形という。母天体が十分に大きい場合、潮汐変形によって天体内部で摩擦熱が発生する。これが潮汐加熱である。

[5] ここでの古典的標準モデルは、井田茂(2017)「系外惑星と太陽系」に拠った。

[6] アルマ望遠鏡 2018.02.26  https://alma-telescope.jp/news/proxima-201802 より(最終閲覧日2021.01.13)

[7] 長沼毅・井田茂(2014)「地球外生命」

[8] 昼面と夜面の境界範囲。

[9] Richard Dawkins(1976) 「The Selfish Gene」より

[10] 長沼毅・井田茂(2014)「地球外生命」

[11] 海中の光合成バクテリア

[12] 長沼毅・井田茂(2014)「地球外生命」

 

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【進撃の巨人2】クリスタさん、マジでかわいい

進撃の巨人2の3Dクリスタさんがめちゃくちゃ美しくてかわいくて女神なので、スクショを貼りつけていくという記事です。

正直クリスタさん気に留めてなかったんですが、ゲームだとマジで群を抜いて綺麗なので惚れてしまいました。

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ここめちゃくちゃリアルくない!?!!?

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絶対3D作画班にクリスタ信者いるよね

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おう、何でも相談してくれ!w

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優勝

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ユミルが半分太になってる(このネタわかる人いるかな)

おまけ

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ハンジさんに振り回されて大変なモブリットさん